上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--
何度見ても面白い。
これを馬鹿映画という人は、ロッキーのカウンターパンチを食らって、自分の馬鹿を露呈してると思う。

ロッキーシリーズはトレーニングシーンの盛り上がりが毎度毎度、異常なくらいすごい。

淀川さんが復活してたのが今回の放送の見所。
試合シーンをさして
「これが映画です」 とは、最高の賛辞だと思った。

監督としてのスタローンって尊敬しちゃう。

2007.04.22 Comment:0 | TrackBack:0
シネスケ

マルコビッチの怪演あってこそのこの緊迫感だったとは思うが、
主人公フランクの哀愁と犯人”ブース”の哀愁が激突する構成にしびれた。
彼らは二人とも傷付いていて、それを埋めるため残りの余生をすごしてきたが煮詰まっている。

その「傷付いた者」という構図を明確にするための、冒頭のフランク相棒のトラウマ体験と、辞職を決意するあたりが、後の展開にもつながっていて、非常に悲しくも的確であり、すばらしい脚本だと思う。

残りの余生とこれまでの人生に決着をつけるために動き出した”ブース”。
パートナーに選ばれたのがケネディ大統領の護衛に失敗したフランクだ。
------------------


地味な映画だとは思うが、ところどころ目を見はる部分があった。
犯人のいくつかの巻き添え殺人の冷酷無比さ。
(この監督はホントに人の殺し方がうまい)
そのときの「お前らなんで鳥を殺すんだよ」というセリフとか。
樹脂製の特製拳銃の小道具としての印象の強さ。

演出的にも印象の強さはいえる。
ヴォルフガング・ペーターゼンは最近マイブームというか、ちょっとひいきの監督で、この間も『エアフォース・ワン』がもう一度見たくて、DVDを買ってしまった。
この映画は評判はあまりよくないんだけど、演出の点でかなり優れたアクション映画だと思っている。
それと前後して『アウトブレイク』もつい最近のTV放送でみたが、退屈なストーリーのわりに、後半の盛り上がりだけはすごいものがあった。絶対これは監督の功績だ。

これら2作の前になるけど、『ザ・シークレット・サービス』においても演出の冴えというのはところどころみられた。
とにかくテンポがいい。

(↓ここからややネタバレ)

とくに暗殺シーンでのシークレットサービスが円陣を組んでの猛ダッシュ。手ブレを出しつつカット割りと勢いで厨房を抜けリムジンに押しこむあたりの強引さがこの監督の持ち味だと思う。
テンポに関しては力技だけじゃなく、細やかな技巧も感じる。
”ブース”の変装シーンの二重露出を重ねていくあたりは鮮やかだと思った。
ああいう演出を他の(よく古いTV映画とかで見る)映画でやられると、陳腐な感じがするのだけど、ここはよくこの技法でやってくれたと思った。
------------------

(↓もう少しネタバレ)
それと脚本の話にもつながるけど、
屋上の対決シーン。
ここの結末が、トラウマ体験の話と濃密にリンクしていて物悲しい。
この事件がフランクに新たなトラウマと問題提起をする。

「お前は本当に弾丸を受ける度胸があったのか?」と。
たしかにあのとき撃ってれば、大統領の命だけでなく色々なものを守れた。
自分の身を犠牲にすることと引き換えに。
30年前にケネディを守れなかったのも同じことじゃないのかと問いかけるマルコビッチの差し出した手。

全てを見透かされたようなフランクは、頑なに彼の一方的な恋愛感情にも似た友情を拒否する。
そう思うとマルコビッチの差し出した手が不気味かつ悲しい。
------------------


 (↓完全にネタバレ※注意) 


ラスト近くは圧倒された。
フランクが狙撃のときにとった行動で、
ああ、この映画はいい映画だな、と確信に近い感触を得た。

エレベーターで”ブース”がいったセリフ
「俺がお前をヒーローにしてやったんだ」は間違ってないと思う。
ブースのおかげでフランクは過去の罪からのがれることができた。


最後の、(屋上のときとは逆転した)エレベーターでの「差し出した手」のシーン。
”ブース”は手をとらず落ちていったが、このシーンはとくに悲しい。
彼は「俺を助けたくていってるのか?」と問うが、
フランクはそれを理路整然と否定する。

たぶんブースが無言で落ちていったのは、じぶんがどこまでいっても孤独だということを最後に理解したからではないか。
もともとこれは一方的な恋愛のようなゲームだった。

ブースは自分を重ねたフランクと競い合うことで、失ったものを取り戻そうとした。

フランクが最後に得た「新しい人生」はゲームに勝った者の賞品なのだ。
しかし”ブース”にとって、賞品はフランクと同じでなく、「死」。
彼が電話でいっていた
「ケネディには自殺願望があった」というのはそのまま自分の気持を語っているだけなのだ。

フランクと”ブース”に境遇的な共通点は多々あったが、やはり交じり合うことのない他人。
ブースはそれに気づきたくなかったが、本当はわかっていた気もする。
恋愛感情を拒絶されたブースは最後に悲観して落ちていったのだと僕は思う。

そして、だからこそ、ラストの留守番電話がいっそう悲しい。
フランクと彼の新しい伴侶は、その電話を最後まで聞かずに出て行ってしまうことからも、この決定的な”ブース”の孤独は強調されているように思う。
(この伝言の中でブースは、主人公の新しい旅立ちにはっきりと好意からの祝辞を述べている)

異常な犯人の悲しさが主人公の悲しさを食ってしまっている。
そして主人公は過去に決別して新しい人生を。
”ブース”に感謝すべきとまではいわないが、やはりフランクは似たもの同士からの友情のプレゼントに救われたのかなと、ふと思ってしまう。

この映画が先にあげたアクション映画と決定的に違う点は、
この哀愁を画面に出せてるところだと思う。
そしてだからこそ、この映画は傑作といってもいいかもしれない良い映画だ。
落下(決別)のあと、エレベーターが下りていくシーンが好き。
二者の境遇がかけ離れていく瞬間を捕らえた演出としては品もインパクトもある。ペーターゼン最高!

2006.02.24 Comment:0 | TrackBack:0
 
監督:深作欣二 脚本:笠原和夫


シネスケ

仁義なき戦いシリーズの二作目。
1作目とこの2作目は、20歳くらいの頃に一度みてるのだけど、
さっぱり面白さがわからなかったので、
もう一度観てみようと人気の高い二作目を手に取った。

視聴してみると、一度見たはずなのに記憶にまったくない・・・ホントに観たのか?
歳を食ったからか、今度はなにやらわからんが面白いと感じた。

------------------

しかし、実話を映画にした実録ものであるからだろうけど、
ストーリー的にはまとまりがなく散漫な印象で、そのうえ、
ただでさえ聞き取りにくい広島弁が、演者たちの熱演のせいでさらに聞き取りにくい。何言ってるかわからん。

登場人物たちの背景や所属も。いろいろな組や上層の会があり、それを把握しないことには(映画のテンポがいいのも手伝って)置いてきぼりだ。

邪道だとは思ったが、台詞とあらすじを再録しているサイトを見つつ、ストーリーの流れを確認しながら、細切れに観た。

夜刊ロロモ より「仁義なき戦い詳細」ページ

この作品の売りのひとつであるテンポが犠牲になったかもしれないが、そんなのはいずれまた見たときに楽しめばいい。
おかげで1回の視聴で状況を把握しながら最期まで映画を楽しめた。

------------------

シリーズでもこの二作目「広島死闘編」は番外編のため、脇役でありながら主役扱いの菅原文太に見せ場を作るという無理も手伝って、全体の流れはやはり散漫。

登場人物それぞれのエゴを丁寧に描いてるので、
少し油断してると、どこそこでメンツが立たないだとかいう殺し合いが始まり、観ているほうは焦点があわせづらい。

しかし本筋はしっかりあった。
様々な登場人物のエゴや謀略やバイオレンスの描写に隠れて、主人公の出番は極端に少ないが、ロミオとジュリエットのような悲恋がメインになっている。
大筋としては、山中という男のたどる悲劇の一生の物語だ。
予科練に入ったが特攻隊世代に年齢が届かず、死に場所を失くし宙ぶらりんの戦後の中で、エネルギーのはけ口を求めてさまよう野良犬みたいな男の生涯。
そして、それに寄り添う特攻隊員の未亡人。戦後の匂いが漂ってくる設定だ。

主人公の山中正治(北大路欣也)は、山上光治という実在のヤクザをモデルにしている。
最近コミックにもなっている有名人(たぶんこの映画のせいもある)だ。

『武勇ヤクザ伝山上光治 不死身の男編』
本堂淳一郎、多田拓郎(竹書房)

------------------

この映画の感想をネットで見ると、
主人公山中は、劇中のラストで語られるように「男の中の男」。

そして、千葉真一演じる狂犬、大友勝利(かつとし)のセリフにしびれる人も多いようだ。

僕はどちらにも共感でできずじまいで、
山中は、村岡組長に最期までいい様に利用されるばかりで、何度騙されても懲りずにまた騙される。
騙された挙句に、恩人高梨の叔父貴まで殺害してしまうわけで、こんな直情馬鹿に憧れるのは無理!

しかし、そういうアホが自分に筋通すのがひとつの正義であり、そういう価値観をクローズアップしたこういう映画世界に、そんなツッコミいれるのも野暮。
だから、三白眼で一所懸命まっすぐに前を見つめる山中のひたむきさは魅力があったといっておく。

そしてもうひとりの立役者。千葉演じる勝利だが。
勝利の吐くセリフにあまりしびれなかった僕は、オスとしての本能が弱いのだろうか?
とにかく彼のどこにも自分を重ね合わせることは不可能だったし、対して、さり気ない行動にも侠気があふれる文太兄ィはかっこいいと思った。

しかし勝利。悪党としては魅力十分。
毒々しいセリフは、そのまま毒として受け取ったが、たしかにものすごいインパクトのキャラだ。
最初から最期まで主役を食いかねないエネルギーに満ち溢れている。


川谷拓三演じるチンピラへのリンチシーンがすごい。
拉致られて凄惨な責めを受けたあとに、
無人島で木に吊るされて射撃の的になるのだ。
川谷が『県警対組織暴力』で、取調室で丸裸にされボコボコにされるあのシーンがかわいく見える。

その間、勝利は終始殺戮を心から楽しんでいる。
彼の異常性を表現し得た千葉の怪演は、のちの拳法キャラはなんだったんだと思うくらい見事。

------------------

※以下ネタバレ注意

アマゾンドットコムのレビューでこういう謎賭けをしてる人がいた。
不屈の闘志とひたむきさで、破門や投獄の淵から不死鳥のように何度も蘇る不屈の山中が、なぜ自殺したのか。

山中のモデルになった実在の山上光治という伝説のヤクザが、どういう人生をたどって、どういう終焉を迎えたか知らないが、映画に関しての僕の答えはこう。

まず山中は、特攻隊志願の願望をみても、元々が死に急いでいる人間であるように思える。
生き方は死に方と同義だという死生観を根底に持っている様子。
勝利も山中も、監督の分身であるかのようにエネルギッシュだが、
山中は、勝利のように表象の「生」には興味がない、間逆のエネルギーをもった人間。

山中と勝利の、二つの相対する極端な価値観をもつ人間の戦いが、この映画をエンタメとして成立させているのならば、
冒頭でボコられるのも必然、ラストで決着が着くのも必然。

つまり、ラストの主人公の自殺は。
ふたりの因縁の決着だったのではないだろうか。

山中に負傷させられ勝利は、ラスト20分を残して逮捕されてしまい。
物語を引っ張ってきた大友組と村岡組の抗争は決着してしまう。

しかし物語はまだ続き、山中は警察の包囲網に追い詰められる。
抜け出すのは不可能。
山中はしきりに獄中での惨めな生活に対しての弱音ともとれる愚痴を吐いていた。自首はありえない。

一方、山中が命を獲り損ねた勝利は生き延び、
「皆殺しにしてやる」といった若かりし頃の山中のあの復讐宣言は、途中で挫折してしまったかに見えるが、たぶん違う。

山中はドツボにハマって最悪の結末を迎えたが、
同じくヘタをうった勝利は、山中に足を撃たれて20年は獄につながれる。
その間に、ケジメを取るべき相手の山中はあの世にトンズラしてるのだ。
これではヤクザの命に等しいメンツも丸つぶれ。

そして勝利(かつとし)の名セリフとされるあの発言が、皮肉な形で思い出される。

「わしら、うまいもの食うてよ。マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの」

とまで豪語していた勝利にとって、
無期懲役というのは、彼の敷いた人生観において決定的敗北以外のなにものでもない。
その勇ましい名前にふさわしくないドツボにハメられたのだ。

ろくな死に方しないのは極道なんだから当たり前だとして。
このふたりの間の勝負に限って言えば、山中は勝ち逃げしたんだと思う。
そして、エンタメ映画は最期に悪党がやっつけられなければならないのだ。

仁侠映画からの脱皮を図ったことで有名なこのシリーズだけど、
結局は仁義と外道の戦いを描写し、そして仁義が勝つという任侠映画の法則にのっとっている。

------------------

 (おまけ)原爆スラムについて

ところでこの映画。戦後間もない頃の闇市や繁華街の描写や、原爆スラムも風情があって見所だった。
この原爆スラム、たぶんロケだよね?
スラムクリアランスとやらでなくなってしまったようだが、
昭和48年にはまだあったのだろうね。
調べたら昭和49年に着工だそうで、この映画はギリギリだったわけだ。

しつこく検索してたら2chの投稿でこんなのみつけた。
やっぱロケのようだ。

昔の広島市内を懐かしもう・・・http://chugoku.machibbs.net/kako/2003/1035006144.html

20 名前: ....... 投稿日: 2002/12/04(水) 19:51 ID:oykQt0Pk

原爆スラムは 東映の仁義なき戦いというヤクザ映画によく出てくるで、。
良かったら、見てみい。自家発電とか市民球場近くの川土手一体にバラック
小屋とかいっぱいあった。あと、はしごで二回にあがって行く家とか。
たまにウルルン何とかという番組で原住民の家に似とる家とか。よく考えたら
大爆笑なんじゃけど。知障の人が兄弟にいるとかも、多かった。
サンモールの近くとかで絡んでくるのはそこの奴らとか言うのは定説ではあった。
ファミリープールのあたりはその上流っぽい人たちが、飲食店とかお店とか 割りと
ったと思う。

21 名前: 名無しなんじゃ 投稿日: 2002/12/04(水) 20:11 ID:XMAQo0MI

原爆スラム・・・・
確か、「広島新史」(広島市編纂の市史)に写真があったと思います。


204 名前: 名無しなんじゃ 投稿日: 2003/03/08(土) 14:38 ID:7pXVr9Kc

基町グラフィティー
□原爆スラム:
 仁義なき戦い・広島死闘篇。劇中、北大路欣也がダーティーハリーなみに銃を両手で
 構える場面。そのシーンのBACKは原爆スラムそのものです。
 同じく、仁義なき戦い・頂上作戦。劇中、小倉一郎扮するチンピラは原爆スラム出身
 という設定。これも原爆スラムそのものが映し出されます。


映画の原爆スラム。

↓おなじ場所の現在。
http://www.gangitaxi.etowns.net/GIF/030_plan/3-8.jpg(雁木タクシーHP)

ネット上でも探せば写真がある。
http://www.geocities.jp/tssune/s24.htm
http://hiroshimagogo.fc2web.com/20/20-7.html

2005.10.25 Comment:0 | TrackBack:0
監督:ロニー・ユー
製作:ショーン・S・カニンガム
フレディ原案:ウェス・クレイヴン
ジェイソン原案:ヴィクター・ミラー
脚本:マーク・スウィフト、ダミアン・シャノン
テレ東でやってたのを見たんだけど。
すごく面白かった!

馬鹿映画かと思って見てたら、意外とホラーの部分がしっかり作ってあったので意表を突かれた。

冒頭フレディが作戦を練って、なぜジェイソンと絡まねばならなかったのかを説明したりするのがマヌケだけど、
そのあとの数十分は、初期の『エルム街の悪夢』を思わせるノリで楽しめた。

もちろん全体としては、馬鹿映画だ。だって『フレディVSジェイソン』だもの。
これで馬鹿映画じゃなかったら詐欺だ。
馬鹿映画の中で、しっかりガチンコのホラーをやってるところに好感がもてるのだ。

監督は『チャイルドプレイ』の一作目の人だけど。
この人、あれ以来あまりホラー映画も撮ってないみたい。
それが、フレディというホラー界のスターを扱えることになって発奮したのだろうか。
そういう愛着とかやる気といったものを画面から感じる。

僕は『13日の金曜日』シリーズはかなりどうでもよくて。一度も怖いとも面白いと思ったことがなく、退屈な映画だと思ってるんだけど、
この映画のジェイソンはかなりイイ。

監督が変わればこうも変わるものか。
麦畑の中から炎とともに現れ、殺戮を開始するジェイソンの有無をいわさぬ圧倒的で凶悪な存在感。

こんなジェイソンとフレディが戦うんだから大変だ。
っていうか、夢と現実に生きる(っていうか二人とも死んでるんだけどね)、水と油の二人。
予想ではフレディ圧倒的優位かと思ったんだけど、今回この二人の対決をみていてジェイソンを見直した。

フレディはまだユーモアを解し、人間的な悪感情に支配されているところがあって、まだ共感できるところが多い。

だがジェイソンは違う。理屈も道理も通用しない。
圧倒的な突進力で無意味な殺戮を繰り返す理不尽極まりない男。
なによりも知性に欠ける。っていうか究極なまでにモノを考えてない。無だ。混沌だ。
一応、『サイコ』を思わせる母親との関係や、子供時代のトラウマが描かれているけど、それが殺戮にいたるプロセスが説明不足すぎて、俗世に生きてる観客は口をあんぐりあけて動揺するくらいしか手がない。

これは、生々しい人間らしさを引きずってるフレディなんか及びもしないわけのわからない存在。

ジェイソンは冒頭から登場して殺人を犯してはいるが、
その本当の怖さが発揮されたのはフレディと対決する展開に入ってからだと思う。

夢に引きずり込もうが、切り刻もうがお構いなし。
ジェイソンは突進あるのみ。
その無意味さにはフレディも気おされる。
前半であんなに怖かったフレディが友達に見えるw


前半はフレディ。後半はジェイソンの怖さを、
「どう怖いのか」
と、両作の原点に立ち返って描写した監督は偉い。
ホラーを愛してるからこその演出力に感動した。


そして、馬鹿映画としても期待は裏切ってなく、スター対決の鮮やかさもちゃんと楽しめた。
ナタとカギ爪がビュンビュン交差し、火花や土煙が舞い散るアクションのキレのよさ。
テンポのいいカット割り。
ホントに馬鹿だよね。フレディとジェイソンが格闘ゲームよろしく戦ってるんだもの、まさしく夢の対決。
うん、ナイトメアのほうだけど。
素晴らしいよこれは、感動した。

制作のショーン・S・カニンガムは、『13日の金曜日』の監督で、
こんなのも作ってたのね。

「ジェイソンX 13日の金曜日」スペシャルサイト

そういやそんなのあった気がするけど、当時は見る気がしなかった。
しかしジェイソンが宇宙へ・・・
いまさらだけどこれ、「馬鹿映画だぞ」と堂々と看板を出して宣戦布告をしてる感じが疼くなぁ・・・
『フレディvsジェイソン』が面白かったので見てもいいかもなあ。

シネスケ評

フレディvsジェイソン オフィシャルサイト : HERALD ONLINE

2005.07.13 Comment:0 | TrackBack:1

シネスケ

仕事で嫌なことがあって帰宅したのだが、
TVをつけたらこの映画をやっていた。
放送が始まって15分はたっていたので、冒頭は見逃してしまったのだけど、画面にひきつけられた。

こういうことはよくあると思うけど。
いい映画というのはオーラを放っていて、どこから見始めても吸引力で虜になってしまうものだと思う。

まったく見る予定のなかった映画を、食いつくように見ていたのは、画面のよさだけでなく。
仕事での嫌な気分をかかえた自分の波長が、この映画の真中演ずるOLの境遇と自然と重なってしまったからかもしれない。

ここの上司たちは単なるモラハラオヤジというわけでなく、真中の境遇も(見逃した冒頭で語られてたはずだけど)傷心状態という大きな挫折が根底にあったわけで、自分の抱えてるのとはとはまったく違う陰鬱さだったけど、
陰のオーラを、競演の境雅人演じるさわやかな男”前野”が、真中へのラブコールといっしょに見事に払拭してくれて、わかりやすいくらい映画で元気をもらった。

*****************

とにかく堺雅人がいい。
このひとの演技と存在感だけでも100点満点の風格。
舞台俳優ばかりで、昨年のNHK大河『新選組!』で山南を演じるまでは映画やブラウン管では露出の少ない人だったけど、
この時点でブレイクしててもよかったのにと思うくらい陽のオーラがある。

ネタバレは避けたいけど、
ラストまでみると、この陽気さの意味を問いなおすハードな仕掛けが待ってる。
そして、その最後の仕掛けに、それまでの全ての出来事が伏線として連鎖していたのだと観客は気づくのだ。

「ええんとちゃいまっか」
という前野のセリフは、刹那的に瞬間的に人生を楽しめというメッセージだったと思う。
流れではなく。個々の幸せ。線ではなく点。
その積み重ねこそが生きる上での幸福に他ならないのだと。

その単純で快活な刹那主義の裏側には、もう一層深い真実が眠っていることになるのだが、その前野と僕らでなにが違うかというと。
実は何も違ってはいないのではないかと。

だからラストはたぶんハッピーエンドなのです。

THE BOOMの『いつもと違う場所で』という唄に、手塚治虫のセリフが引用されてるけど、
まさにそれと同じものを前野は「ええんとちゃいまっか」という砕けた大阪弁で朗々と訴えかけてきてる気がする。

*****************

競艇のシーンが少しあっけにとられる展開で、それゆえに難解に感じた。
思うにあの仕掛けはファンタジーで驚かせようとしたのではなく、
リアルなメッセージを表現しようとしたうえでの戯画化ではないだろうか。

つまり。
人生山あり谷あり。
帳尻はどこかであいまっせと。

あの金は「運」の貯金。

そしてめぐりめぐって、その通帳に貯蓄された「運」は、
主人公志乃の「意志」の力によって、コントロールされ、解き放たれる。

いや、解き放たれようかという寸前で、その目論見は足元から崩れ去ってしまうのだけど。
それもまたリアルな「運命」。
ひとつの可能性。

こういった観念論がメタメタ(影)で進行していくのと逆に。
画面上ではベタベタ(光)な人情ドラマが展開されていくのも確信犯的なお遊びにみえる。

 給湯室ドラマよろしくの女同士のイジメ、そこから邂逅して友達になる流れ。
 彼女かと思って身を引こうとしたら妹だった。

そして、こんなベタベタが心地よかったりする。
ラストもベタベタだ。
しかしそれはこの映画の狙いにおいては、稚拙な泣かせの演出などでは決してなく。
「光」を担う部分であって輝きなのだと思う。

*****************

主演の真中に関しては、黙ってればいい絵を撮らせてくれる女優なんじゃないの? って程度で、正直見るべきところはあまりない人だと思います。
もともと嫌いなタレなんで。
ミスキャストは言いすぎだけど。主演という境遇や、競演者のオーラにおんぶに抱っこの態度が演技から透けて見えるようで嫌。
映画からもらうだけでなく貢献しろよと思った。
とくにこういういい映画だと主演のぼんくらさは目立ってしまう。当たり前の話だけど。

どうしても、堺の演技と対比してしまうが。
中盤、酒の席で社長を言いくるめるところは、
前野の超人的な悟りキャラクターを表す一番大事なエピソードで、
あの長台詞を完璧にこなした堺はほんとに素晴らしい。

前野は恐ろしいほど勘が先回りし、悟りきって達観した部分があるゆえに、
それが過ぎて、ときに天然な振る舞いで空気をよめなかったりする。
同時に超人とは縁遠い、わがままや弱さをもってるゆえに、致命的な間違いをしたり、他人に運命をゆだねたりもする。

超人だけど、その前に人間。
そして超人前野は、限界をもったひとりの人間としてその役を全うした。

この前野という愛すべきキャラクターを描ききったという意味でも、
主人公の志乃は単に狂言回しの位置だったのかもしれない。

監督さんはもともと脚本の仕事をしてたりはするみたいだけど、これが初監督だそうで、
以降も監督作があるので機会があれば見たい。

*****************


原作は最相葉月というノンフィクション作家の短いエッセイらしい。
中央公論新社刊 『なんといふ空』に収録。

DVD

2005.06.06 Comment:2 | TrackBack:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。