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脚本:高久進 演出:白根徳重 作画監督:羽根章悦

異色の話だ。
ガレン砲とは、旧日本陸軍が戦争末期に開発した破壊兵器。
それが光子力研究所を望む高台に眠っていると知ったあしゅら男爵はガレン砲で光子力研究所を一撃の下に葬り去ろうとする。

脚本は高久進
この人はよく職人肌の脚本家として語られることが多い。
求められた注文を常にアベレージの高い仕事で返す。
「職人肌」というのは裏を返せば、極めて作家性の薄いルーチンワークに他ならないのだが、引き出しとエンターテインメントのツボを熟知してるひとは、冒険をしないでも自分の「持ち芸」の組み合わせを変えながら、視聴者の欲求と自分の創作意欲との最大公約数的な回答を出す。
「才能」などというあやふやなものではなく、「職人」の極意があるからこそ、それを何十年も続けられる。
高久進という人はそういう脚本家なのだろう。
職業脚本家という言い方をしたときこの人は、まさに手本のような存在だと思う。

関わった仕事も実に多岐にわたるが、
今回のガレン砲の設定を聞いて思い出したのが、高久進がメインライターを勤めた特撮ヒーロー番組『超人機メタルダー』(1987年)だ。

メタルダーは、戦時中に開発された兵器が現代に蘇って、悪と戦うという設定だ。何かに似ている。
これは鉄人28号そのものだ。
そういえば高久のマジンガーでの脚本は、
兜十蔵博士がマジンガーを託す第1話をはじめ、このあと紹介する第12話「裏切者! 巨大化ロボット・バイコング」でも顕著なのだが、
「ロボットは操る人間によって善にも悪にもなる」というセリフが異様に多い。
これはそのまま『鉄人28号』で横山光輝が前面に打ち出したテーマであり、従来の漫画では鉄腕アトム以来の定型であった「擬人化」の慣習を打ち破り、ロボットをクールに「道具」としてとらえたという発明に近い業績だ。
そして鉄人ではそれがエピソードに見事に反映されていたのだが、
高久のマジンガーでは、ロボットを擬人化した上で、ロボットのもつ正義性を正当化する局面で使われる。
いいとこどりをした結果の「ツギハギ感」が隠しきれてないのが高久脚本の悪いところだと思うのだが、それは置いておいて。

たしかにそういう雛形(この場合『鉄人28号』)が職業作家のひきだしにあったかもしれない。
しかしまだ戦後をひきずっていた鉄人の描かれた時代(連載開始は1956年)と、メタルダーの作られた’87年では時代感覚が違いすぎる。
あの番組がバブル絶頂の飽食時代への強烈な批判として企画されたことはわかるが、「戦時中の遺産」という主人公の設定はいささか古すぎた。
メタルダーの乗るマシンはマツダのファミリアが変形するものだったし、時代考証もメチャクチャだ。

高久は、偏りの全くないオールラウンドプレイヤーというイメージだったのが、
なんだか孫に戦争の話を語って聞かせるおじいちゃんのような気がしてきた。

しかしまだキーワードが一つ足りない。

それは「ごっこ」だ。

このマジンガー11話では、
砲台を占拠するまでは、パイルダー号で上空から偵察したり、ボス達と突撃隊を編成しての白兵戦であって、プロレスロボットアニメというより、米戦争ドラマの『コンバット』だ。
マジンガーとガレン砲を守る機械獣の戦いは添え物でしかない。
一話まるごと、まるで戦争ごっこのような装いなのだ。

たしかにミリタリー風味ではあるが、それはどこか戦争とは違う。
兜甲児もボスも戦闘のど素人の高校生だ。
作中には自衛隊らしきものがでてくる場面もあるが、そういった力には頼らず、なぜか高校生集団が私服で山中を駆け回って世にも恐ろしい統率された鉄仮面軍団を相手にやあやあと立ち回る。
本当に戦争を体験した人間ならば、戦争の勇ましさや美化した部分だけを伝えるのには引け目があるだろう。
逆に戦後の作家ならば、俯瞰の視点から戦争を相対化できるだろう。
しかし高久は今回の脚本で、勇猛果敢なヒーローが登場する「戦争ごっこ」を描いたように思うのだ。

高久の生年は1933年。
終戦時には12歳だ。
なるほど、高久は戦時下の非常時に徹底的な軍国教育を受け、お国のためと出生して死んでいく近所のお兄さんを、憧れの眼差しで見送っていた少年時代だったのだろう。
その時代の子供はきっとみんなそうだったのだ。

戦中派という言葉があるが、戦争時代を体験した人間はまとめて戦中派というようだ。
しかし、僕はこれは厳密には戦争時代を体験した大人を指すものだと解釈してる。
だから、もうひとつ「子供戦中派」という部門を設けてもいいのではないか。

子供戦中派は、戦時を肌で感じながらも、実際の戦争はどこか空想の世界で、日常の路地の遊びの延長にあったに違いないのだ。
子供とは時代や国を越えてそういうものなのだから。

だから高久の描いたメタルダーは戦後40年経っても、現代の科学の粋を集めたネロス帝国を崩壊させ、
ガレン砲はB29を次々と打ち落とす。

彼にとって、いまだ旧日本軍は憧れのヒーローなんじゃないのだろうか。

考えてみると子供の戦中派の生息期間は驚くほど短い。
あまり詳しくないが、日本が国民の戦意高揚を国策として展開したのは、太平洋戦争が始まった1941年以降だと思う。(実際’41年に国民学校ができて、教育現場も大きく変わった)

参考リンク:「戦中戦後の子供のくらし」
「明治以来、初等教育機関としては尋常小学校と高等小学校があり、尋常小学校での6年間が義務教育となっていました。昭和16年には、児童たちは「少国民」と呼ばれるようになり、国民学校初等科(6年)と国民学校高等科(2年)に姿を変えてゆきました。」

45年の終戦を迎えて天皇が人間宣言をし、日本の軍国主義によったプライドはズタズタになり、牙を抜かれてしまい、
「一部の軍人に市民は騙されていたのだ。日本人も犠牲者なのだ」とGHQによる徹底した洗脳教育が始まる。
45年以降の小学生はジープを追いかけてギブミーチョコレートなわけだ。

(子供時代に終戦を挟んだ子供の心境は想像するしかないが、高学年ともなると、この急激なパラダイムシフトについていけなかったかもしれない。『はだしのゲン』では、中学生になったばかりのゲンがジープに群がる子供達を軽蔑し、くやしげに見ていた描写があったと記憶してる。ゲンは作者中沢啓治のかなり正確な分身なので、中沢と高久はほぼ同年齢ということに。高久との作風のあまりの違いは「被爆体験」としかいいようがない。)

となると41~45年の四年間に子供だった人間が子供戦中派といえる。(ヘタするとポケモンブームより短い)
この「子供」は物心つく5歳くらいから12歳までだろう。
(いまでいう)小学校6年を修了すると当時としては大人の自覚をもった時代で、リアリティをもって世間に接する年頃だからだ。
太平洋戦争の4年間に8~12歳という多感で夢見がちな時期を過ごした高久はまさに戦中派子供ストライクゾーンだ。


高久の関わった仕事には『陸軍中野学校』のように、旧日本陸軍の特殊部隊を扱ったシリーズや、それを彷彿とさせる子供向けヒーロー『忍者部隊月光』のようなタイトルもある。


現在のスーパー戦隊シリーズの実質的な祖となった『バトルフィーバーJ』を子供の頃見てて、なんだか日本刀とか司令官の軍服とかが子供心に「おじいちゃんくさーい」と思ってたのだが、これもメインライターのひとりが高久進だw

今度から高久の作品を見るときは「子供の戦中派」フィルターをかけて眺めてみようかなと思った。


追記:文中の「戦中派子供」という造語はなんかしっくりこないので「子供戦中派」に変えました
2004.12.21 Comment:0 | TrackBack:0
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