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シネスケ

仕事で嫌なことがあって帰宅したのだが、
TVをつけたらこの映画をやっていた。
放送が始まって15分はたっていたので、冒頭は見逃してしまったのだけど、画面にひきつけられた。

こういうことはよくあると思うけど。
いい映画というのはオーラを放っていて、どこから見始めても吸引力で虜になってしまうものだと思う。

まったく見る予定のなかった映画を、食いつくように見ていたのは、画面のよさだけでなく。
仕事での嫌な気分をかかえた自分の波長が、この映画の真中演ずるOLの境遇と自然と重なってしまったからかもしれない。

ここの上司たちは単なるモラハラオヤジというわけでなく、真中の境遇も(見逃した冒頭で語られてたはずだけど)傷心状態という大きな挫折が根底にあったわけで、自分の抱えてるのとはとはまったく違う陰鬱さだったけど、
陰のオーラを、競演の境雅人演じるさわやかな男”前野”が、真中へのラブコールといっしょに見事に払拭してくれて、わかりやすいくらい映画で元気をもらった。

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とにかく堺雅人がいい。
このひとの演技と存在感だけでも100点満点の風格。
舞台俳優ばかりで、昨年のNHK大河『新選組!』で山南を演じるまでは映画やブラウン管では露出の少ない人だったけど、
この時点でブレイクしててもよかったのにと思うくらい陽のオーラがある。

ネタバレは避けたいけど、
ラストまでみると、この陽気さの意味を問いなおすハードな仕掛けが待ってる。
そして、その最後の仕掛けに、それまでの全ての出来事が伏線として連鎖していたのだと観客は気づくのだ。

「ええんとちゃいまっか」
という前野のセリフは、刹那的に瞬間的に人生を楽しめというメッセージだったと思う。
流れではなく。個々の幸せ。線ではなく点。
その積み重ねこそが生きる上での幸福に他ならないのだと。

その単純で快活な刹那主義の裏側には、もう一層深い真実が眠っていることになるのだが、その前野と僕らでなにが違うかというと。
実は何も違ってはいないのではないかと。

だからラストはたぶんハッピーエンドなのです。

THE BOOMの『いつもと違う場所で』という唄に、手塚治虫のセリフが引用されてるけど、
まさにそれと同じものを前野は「ええんとちゃいまっか」という砕けた大阪弁で朗々と訴えかけてきてる気がする。

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競艇のシーンが少しあっけにとられる展開で、それゆえに難解に感じた。
思うにあの仕掛けはファンタジーで驚かせようとしたのではなく、
リアルなメッセージを表現しようとしたうえでの戯画化ではないだろうか。

つまり。
人生山あり谷あり。
帳尻はどこかであいまっせと。

あの金は「運」の貯金。

そしてめぐりめぐって、その通帳に貯蓄された「運」は、
主人公志乃の「意志」の力によって、コントロールされ、解き放たれる。

いや、解き放たれようかという寸前で、その目論見は足元から崩れ去ってしまうのだけど。
それもまたリアルな「運命」。
ひとつの可能性。

こういった観念論がメタメタ(影)で進行していくのと逆に。
画面上ではベタベタ(光)な人情ドラマが展開されていくのも確信犯的なお遊びにみえる。

 給湯室ドラマよろしくの女同士のイジメ、そこから邂逅して友達になる流れ。
 彼女かと思って身を引こうとしたら妹だった。

そして、こんなベタベタが心地よかったりする。
ラストもベタベタだ。
しかしそれはこの映画の狙いにおいては、稚拙な泣かせの演出などでは決してなく。
「光」を担う部分であって輝きなのだと思う。

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主演の真中に関しては、黙ってればいい絵を撮らせてくれる女優なんじゃないの? って程度で、正直見るべきところはあまりない人だと思います。
もともと嫌いなタレなんで。
ミスキャストは言いすぎだけど。主演という境遇や、競演者のオーラにおんぶに抱っこの態度が演技から透けて見えるようで嫌。
映画からもらうだけでなく貢献しろよと思った。
とくにこういういい映画だと主演のぼんくらさは目立ってしまう。当たり前の話だけど。

どうしても、堺の演技と対比してしまうが。
中盤、酒の席で社長を言いくるめるところは、
前野の超人的な悟りキャラクターを表す一番大事なエピソードで、
あの長台詞を完璧にこなした堺はほんとに素晴らしい。

前野は恐ろしいほど勘が先回りし、悟りきって達観した部分があるゆえに、
それが過ぎて、ときに天然な振る舞いで空気をよめなかったりする。
同時に超人とは縁遠い、わがままや弱さをもってるゆえに、致命的な間違いをしたり、他人に運命をゆだねたりもする。

超人だけど、その前に人間。
そして超人前野は、限界をもったひとりの人間としてその役を全うした。

この前野という愛すべきキャラクターを描ききったという意味でも、
主人公の志乃は単に狂言回しの位置だったのかもしれない。

監督さんはもともと脚本の仕事をしてたりはするみたいだけど、これが初監督だそうで、
以降も監督作があるので機会があれば見たい。

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原作は最相葉月というノンフィクション作家の短いエッセイらしい。
中央公論新社刊 『なんといふ空』に収録。

DVD

2005.06.06 Comment:2 | TrackBack:0
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