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この数年、自分が子供の頃にハマっていたものを年代をさかのぼって追いかけている。
マジンガーZは僕が夢中になったものとしては最初のものではないだろうか。
ウルトラマンは当時ウルトラマン消しゴムブームだったので、いまでいうゲームボーイやデュエルマスターズカードのような、友人とのコミュニケの道具としての側面があった。

しかし、当時マジンガーZはまっっったく流行っていなかった。
無理もない。放送からすでにかなりの時が経ち、リアルロボット路線のガンダムの劇場版が大ヒット。
マジンガーZをはじめとするロボットアニメの一群はガンダムと比較対照され、子供だましのプロレスアニメとバカにされていた時代だ。

マジンガーは当時、朝の6時くらいに繰り返し再放送がされてました。僕は早起きしてこれを見るのが楽しみだった。
僕はえらく孤立したマイブームを孤独と感じることもなく、
ただひたすら夢中で見ていたのだ。

鳥山明という一人の天才によって、漫画の一時代が終わろうとしていた時期でもあった。
ドクタースランプのコミックスは僕も買いましたが、これもブームだったからです。
僕が本当に自分の意思でお小遣いを削って購入したのは永井豪の「マジンガーZ」のコミックスだったのです。
復刻版でしたが、手に入れて嬉しかったのを覚えている。
友達には「おかしいんじゃない?」とまでいわれました。

さて、マジンガーZをこのたび、ン十年ぶりに見てみて思ったことは。
第一に「面白い」です。

記憶というのは美化されがちで、特に子供の頃の記憶というのは神聖な彩りに着飾られ、かなりの改変がされているものです。
仮面ライダーやゴレンジャーといった特撮モノを今見ると、唖然とするほどちゃちくて、退屈で、ガッカリすることはないでしょうか。

マジンガーを再見するにあたって、そのへんの覚悟はしていたんですが、
いや、見事に面白いです。
子供の頃にはわからなかった発見すらあり、今の方が面白く見れてるくらいです。

ひょっとすると、東映の特撮部門だけが、子供だましの姿勢でいい加減な仕事をしていたのですかね。
円谷のウルトラシリーズは今見ても視聴に耐えうるものが多いと思いますし。

ビジュアルと脚本の両面で、同じ東映系列制作のマジンガーと仮面ライダーでは雲泥の差があるように思う。

特撮技術と作画という違いはあれど、ビジュアルの点で仮面ライダーは萎えるんですが、マジンガーはいまみると、ドキッとするくらい上手い絵があったり、ハッタリの効いたバツグンのレイアウトがあったりして、観ていて興奮します。

プロレスロボットアニメという批判は、的確でもあり、的外れだとも思います。
むしろ正統派格闘エンターテインメントとしてのプロレスリングのエッセンスを積極的に取り入れたのがマジンガーZだったのだと、今回数話見て思いました。

味方ロボやマジンガーのピンチから大逆転への流れは、まさに八百長と揶揄されることも多いプロレスのお約束の面白さであって、漫画というフィクション大前提のメディアにおいては、これは褒められこそすれ、決して貶められる要因にはならないと思います。

80年代初頭にマジンガーが馬鹿にされたのは、ひとえにガンダムのリアルロボット路線に面食らった当時のアニメファンの劣等感のせいだったのではないでしょうか。

マジンガーの当時としては独創的であった個々の魅力(ヒットした原因はいくつかある)は語りつくされてるので、ここでは省きます。
ただ、技の名称をいちいち叫ぶ演出は、マジンガーZが発明したかのようにいわれている感が強いように思うのですが、数ヶ月早く始まった同じく永井豪原作の東映動画作品『デビルマン』でもみられましたし、ルーツはもう少し古いんじゃないかと思います。

さて今回の、第七話「あしゅら男爵の 大謀略」ですが。
非常に荒んだ話で面白かったです。
なにがすごいって、市民を守るために戦っているマジンガーZや光子力研究所が市民からボロクソにいわれて、暴徒が押し寄せ、弓教授は瀕死の重傷を負い、主人公兜甲児も無責任な市民の感情の捌け口に投石を受けるという悲惨さ。

普段、無造作に破壊されてるビル群の下で何が起きてるのかを明確に描いた演出からも、このエピソードにかける意気込みを感じます。

人間溶けてました。

この話の中ではあしゅら男爵が暴徒を手引きしたように描かれていますが、どうも火種はもとからあったらしく、遅かれ早かれこういう事態にはなっていたのでしょう。

能天気な快活ヒーローに思えた甲児くんの両親のことも、ここで初めて明かされます。というか、今の今までこの設定を僕はよく知りませんでした。

なぜお手伝い(彼女も第一話で殺されてしまいます)のいる家で兄弟二人暮しなのか。
なぜ祖父の兜博士は、愛弟子であり光子力の専門家である弓教授に秘密裏にしてまで、孫にマジンガーを残したのか。
マジンガーは血族の物語だったとみれば読み解けます。

兜甲児の父母は夢の次世代エネルギー「光子力」の研究中に事故で死んでしまいます。
光子力の提案者であった祖父の兜十蔵は、息子から孫へ、自らの生み出した血のように濃い光子力の行く末、そしてその守護神として結実した姿であるマジンガーZを遺したのですね。

こうして人類の未来のために多大な犠牲を払ってきた兜一族の執念がこの話では語られていたように思います。

圧巻は、後半の弟シローのセリフ。
父の弓教授の重症にショックを受け、「本当は光子力研究所がつぶれてしまえばいいと思ってる」と本音を漏らすさやか。
そして、ヤケになって市民を見捨てようとした甲児にシローは詰め寄る。
「今のお兄ちゃんは逃げてるんだよ。ずるいよ。お兄ちゃんはずるいよ!」「僕らのおじいちゃんも。お父さんもお母さんも、みんな光子力に命をかけて死んだんだもん。これじゃ浮かばれないじゃないか!」

彼も兜一族の血をたしかに受け継いでいたのです。

甲児は奮い立って、機械獣を討伐しに行きますが。
この戦いではマジンガーの防御の結果、街が無造作かつ無残にぶっ壊されていきます。
これは明らかに意図した演出だと思います。
市民の怨みつらみを一身に受けても、貫かねばならない正義がある。
犠牲を払ってきた兜一族の末裔だからこその開き直った戦いに、作画こそ稚拙なもののそれを超えた、ある種宗教的なカタルシスすら呼び起こされる戦闘シーンですね。

早い段階でこのエピソードを出したことで、兜甲児のキャラクターにぐっと深みが出たように思います。
乱暴もので人情家というキャラクターで、男の中の男「ボス」も、早くもバイプレイヤーとして魅力をどんどん増しつつあり、マジンガーZがただのプロレスアニメではないことを確信している日々であります。

なお、実験中に死んだ甲児の父兜剣造に関しては、重大な秘密が隠されていて、のちのちへの壮大な伏線が張られています。
ジェットスクランダーやグレートマジンガーのセンセーショナルな登場のさせ方と広報の時期を考えると、もしかしたらマジンガーZ放映開始時にこれはすでに薄々決まっていたことなのではないかと思われるフシもあるので、なんというか、マジンガーを作ったスタッフの構成力恐るべし。

さて、このエピソード。
光子力がなかったとしても、ドクターヘルの世界征服の野望がある限り、マジンガーの敗北は世界の敗北であり、兜甲児が市民を犠牲にまでして貫いた正義には説得力があるのですが、
同時に、正義へのアンチテーゼを暗に描いた場面の方が本当は製作者(脚本はメインライターの藤川桂介)がいいたかったことなのかも。
「光子力」に象徴されていた、人類の進歩、科学の発展は、どんなときでも正しいのか。
犠牲を払ってまで貫かねばならないものなのか。

こういったテーマは1年後の'73年。タツノコプロの放ったハイパー鬱アクションアニメ『新造人間キャシャーン』でも描かれています。
第十四話「キャシャーン無用の街」は有名なエピソードで、キャシャーンは無抵抗平和主義の村長から「あんた迷惑なんだよ」といわれちゃいションボリしてしまいます。
市民は奴隷化して首輪をつけられ犬のように屈従して生きていく場面がリアルに描かれるというハードな内容です。

この話には関わってませんでしたが、キャシャーンには当時流しの絵コンテマンとして慣らしていた富野由悠季(当時は富野喜幸 )が頻繁に参加してます。

1977年、富野由悠季原作のオリジナルデビュー作、『無敵超人ザンボット3』が放送されますが、
このザンボット3。全編に渡って主人公の一族が、市民からのあからさまな差別と憎悪の対象になっているという、キャシャーンを超えた鬱アニメでした。
人類を守るために犠牲を払いながら、侵略者ガイゾックの破壊に疲弊しきった市民の憎悪は、手っ取り早く目に付く主人公ら神ファミリーに向かい、それでも地球を守って神ファミリーは次々に死んでいくという内容。
最終回は、驚愕の皮肉な真相が明かされ、トラウマになりかねない結末が待っているので未見の方は覚悟しといてください。

んで、巨匠富野由悠季にこのインスピレーションを与えたアニメ作品をさかのぼると、マジンガーZにいきつくんじゃないかなと。
実は今回はそういうお話でした。
2004.12.02 Comment:0 | TrackBack:0
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