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監督 三隅研次  脚本 犬塚稔
座頭市..... 勝新太郎   平手造酒.....天知茂
シネスケでの評価とあらすじ

座頭市の第一作目を観た。
勝新監督でリメイクしたやつや、北野武版のアクロバティックな居合い抜きの活劇を期待してたんだけど、刀はほとんど抜かない。
こりゃ和製ハードボイルドだ。
薄汚い街に舞い降りた、鋼鉄のハートをもった孤高の騎士。

冒頭から座頭市は、一宿一飯の恩に預かったはずの飯岡一家で、ヤクザどもを見下し「臭え」を連発。
かと思うと、庭の花の匂いを嗅ぎつけ季節の移り変わりを愛でる。

渡世人のはしくれといっておきながら、座頭市の仁義は渡世の世界には微塵もなく。
座頭市自身が決めた鋼鉄のルールで生きているのだ。

しかしヤクザの世界に縛られて飯を食わなきゃいけない現実も常に市を苛んでいる。
高潔な魂を守るため、腐った街で目明きにはわからない苦労を重ね、居合いと知恵と意志の力だけで器用に生き抜く運命を強要された不器用な天使が座頭市だ。

少なくとも一作目のスタッフは明確にそういうキャラをつくっている。

腐ったヤクザをペテンにかけ金を巻き上げる手腕はそれを体現した秀逸なエピソードだ。

子母沢寛のことを書こうと参考になるデータの検索かけてたら
うまくまとまってる文章をみつけた。
この人データもすごいし、めちゃくちゃ文章上手いなと思ってよくみたら、ネットでは貧乏評論家で有名(?)な服部弘一郎氏のHPだ・・・w
新佃島・映画ジャーナル
さすがプロの評論家の書いた文章なので、これみたら語ることはあまり残ってないけど、引用しながら映画を思い出し感想をいうと。

>文庫本でも数ページしかない子母沢寛の短編をもとに、座頭市というキャラクターをここまでふくらませたのだからすごい。
新選組の伝記作家で有名な子母沢寛。
数ページの短編ということは、作者自身もなにげなく書いたもので、伝記作家の子母沢はそこからイマジネーションを膨らませるほどの意欲を感じなかったのだろう。
魅力的な設定からイマジネーションを受けたのは明らかに作家としての監督の業績。
北野武もこの盲目の侠客という設定から別のインスピレーションを受けたようだ。

>平手は講談・浪曲の『天保水滸伝』のヒーローとして、戦前から庶民に知られた人物だった。『座頭市物語』以前にも、平手造酒を主人公にした映画が何本も作られている。

平手が実在の人物とは驚いた。千葉に墓があるってのだから。
平手のキャラがここまで濃い背景には、すでに一個のキャラとして認知されていたことがあったのか。

>平手は市の剣を一目で「生きるための剣」と見抜き、「俺はその逆だ」とつぶやき酒をあおる。

平手造酒はその洒落た名前のとおり、飲んだくれの廃人剣士。
用心棒として糊口をしのいでいた平手は、並んで釣り糸をたれる敵方の客人座頭市に奇妙な友情を感じる。

この出会いのエピソードがこの映画を名作にした。
座頭市のハードボイルドなキャラが平手とぶつかったときドラマが動き出す。
互いの内に己の姿を映し見た二人の、一生の友情にも等しい一瞬の出会いの美しさ。

市は口には出さずとも、死に場所を探していた平手に引導を渡すのは自分しかいないとどこかで悟っていたのだろう。
抗争が始まって、市を鉄砲で倒すという条件を引き下げさせるために、血を吐きながらも斬りあいに出てきた平手。

狡猾に血闘を避け、平手との対決を避けていた市も、ここに至っては、平手の高潔な魂に報いるためにも全力で相手を斬りに行くしかなかった。
このへんのエピソードは後の日本の漫画文化にもかなり影響を与えてる気がする。

めくら風情がと、さんざ市を侮辱してきた飯岡の親分は、
ラストで手のひら返したように「いっつあんいっつあん」と酒を勧めて大喜び。
その親分に、市はせっかく狡猾な方法で親分からむしりとってやった小判を叩きつける。

頭にきたのもあるだろう。
自分自身を斬るかのような痛みと悲しみが、この下衆どもにわかってたまるか。
そういわんばかりに市が怒りを爆発させる。

しかしハードボイルドを体現したキャラである市にとって、怒りは主役ではない。市は掟に従って生きるストイックな男なのだ。
そしてそんな市には金は命の次に大事なものであるはず。
孤高の騎士が頼れるのは金と自分の力だけなのだ。
その守銭奴市が金を叩き返すというのは頭に血が上ったとはいえ相当のことなのだ。
そこには怒りという下劣な感情を越えたクールな掟が存在するはず。

「市の命は三両ですか」と言い放ち八両まで値上げを迫った(しかもトンズラしようとしてた)市が、最強の剣客と盲目のハンデを抱えてまで命がけの勝負をしたのは明らかに金のためではない。

魂で惹かれあった二人の高潔な決闘を誰にも汚されるわけにはいかない。
小判を懐に入れてしまっては、飯岡の命令で平手を斬ったことになってしまう。
だから、市は断じて小判を受け取るわけには行かなかったのだ。

ラストで、腐ったヤクザの中でも最高に腐った人物が、背後から意味もなく市に襲い掛かる。
作中で一番裏表の激しかった男だ。
市は相手にするまでもないとばかりに後ろ向きに居合いで斬りつけ沼に落として絶命させる。

笹川親分も飯岡親分も斬らない。
市が手を下して死んだのは、平手造酒のほかには、チンピラひとりだけ。
(笹川の討手も市に斬られたが手加減してあるのか息絶えてない)
しかもこいつが、市が最も内心軽蔑していたであろう男だったことも、盲目の市は気付いてないかもしれない。
「まあ、大した野郎じゃあるめえ」
つまらないことをして斬られるやつはつまらない奴なのだ。
そして同じ刀で斬られた平手はまったく逆の意味で斬られたのだ。市の仕込み杖は斬るものの意味を問う。
相手の価値まで斬る妖刀なのかもしれない。

一年後に、平手の墓を訪ねると言って宿場を去った市。
「どうせ死ぬならおぬしに斬られて死にたかった」と言い残した平手の墓の前で市が手をあわせるときは、
「あっしが、あっしの意思で斬ったんで」というだろう。
その権利を金で買ったのだ。

「金で買えないものにろくなものはない」とは、
のちの和製ハードボイルドの旗手大藪晴彦の小説『野獣死すべし』の主人公のセリフだそうだが、
市が薄汚くも尊い小判で買ったものは、やはりそれだけの価値があるのだろうね。

2005.04.18 Comment:0 | TrackBack:1
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