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僕はクーンツが好きで、
モダンホラーの代表選手としてスティーブン・キングと対比されるこの作家の作品志向に傾倒してるので、比較論がでたときは迷わずクーンツと答えることにしてる。
悲観的な話は嫌なのだ。
キングの作品を読んでいると、魅力的な主人公が自己犠牲で死んだりする。
お話とはいえ嫌な気分になる。

クーンツはそこを意図的に明るい話にしている確信犯的な人で。
お金を頂いてエンターテインメントを楽しんでもらう以上、読後感もさわやかになって本を閉じて欲しいという職業的ポリシーをもった人。
そのエンタメへの姿勢を尊敬する。

だから、この人の作品は安心して読んでいられる。
もちろん、最後のページをめくるまで、主人公は絶体絶命の危機の真っ只中に放り出され、
いつ死んでもおかしくないくらいの危機が迫るのだが、
絶対死なないことはわかってる。
わかってるけど、ハラハラしてしまうのはクーンツの筆致の勝利。

80年代まで乱作も多かった人らしいので、年一作ペースになってしばらく経ってからの作品ばかり読んでた自分としては、
まだ乱作時代の作法を引きずってるようなイメージのある、80年代中ごろのこの作品はやや不安があった。

ブードゥーとか、動物パニックものに近いノリが好きでなかったので、
めずらしく速読で前半は飛ばし読みに近い読み方をしてたのだけど、
読みすすめていくと、さすがクーンツ。
じわじわと読ませる。

まあ、総合的にぶっちゃけた感想をいうと、フツー。
それ以上でもそれ以下でもない。
クーンツのほかの作品には震えるほどの傑作もあるので、比較するとどうしても凡庸な印象。

クーンツ自身の手による「ベストセラーの書き方」の手本のような類型的な作品でひねりがない。これまでのクーンツのお約束はだいたい入ってるハリウッドのパッケージの作品のよう。
そこがクーンツの悪いところでもあるんだけど。

主人公の「正義の人」という設定が、スケールの大きな悪魔と戦う上でキーワードになってるあたりはうまいと思った。
前半のチマチマした小悪魔に退屈してるうちに、いつのまにやら、物語はテンションをあげていって、最後には巨大な顔をもちハリウッドの最新のVFXでしか表現しようのないようなまがまがしい悪魔が出てくる。
たかだが人間を恐れる悪魔という、にわかには承服しがたい内容への不満や疑問を、「正義の人」という独特の設定で読者を説得し、疑問を難なく回避し。さらには、クーンツの掲げる「愛」「勇気」といったテーマと融合させててよかった。

作中の、悪魔の大群に追い詰められた主人公の心中を描写するシーン。
主人公の気持ちを書いていたはずが、この改行のない長文はいつの間にか作者自身の演説に変わっていく。

悪は絶望を食べて大きくなる。
悪に対する最大の武器は希望、楽観、固い意志、そして信念だ。
彼ら四人が生き延びるチャンスは、希望をいだきつづけ、生きることが(死ではなく)自分達の宿命と信じ、善は悪を打ち負かすと信じる、ただひたすらに信じる力にかかっていた。

ステレオタイプの聖と邪の戦いを描きながらも、
この描写には非常に個人的経験から思うところがあったもので、
クーンツの楽観論は、彼の正義論ともどもクーンツの人生訓が漏れ出ているように思えた。

なぜなら「悪」というのは、人間のもつ悪意に他ならず、
神や悪魔の代弁者として物語は進むのだけど、
人間の絶望を食べて生きる「悪魔」が、物語や映画のわかりやすいクリーチャーや「悪魔」などでなく。
人間の形をして他人から生気を奪い取ってなにくわぬ顔をして肥え太っている。
その愕然たる事実は、物語以外の現実から学ぶしかなく、
クーンツのこのエンタメ作家としてのポリシーだけでは語り切れそうもない、強迫神経症的ともいえそうな希望論や「信念」は、きっとニュース番組などから得た机上の見解だけではないだろうなと、
僕は勝手にそういう共感をもったからだ。

日本の新しいホラー小説の地平を作ったとして有名な「黒い家」を最近読んだのだが。
その「悪」に関して、別のアプローチをしてる作家が貴志裕介ではないか。
モダンホラーの雄クーンツと貴志裕介は実は根底で同じテーマを書いてる。
それは「悪意」の恐ろしさだ。
ホラーが怖いのはそれが現実につながる恐怖だからであって、
貴志裕介はラストで読者に「希望」をもたせるようでいて、
おざなりな楽観を提示している。
その中途半端さが、いかにもお茶を濁すようなやり口だったので、
作者は逆に絶望的な人間観や厭世観を強調したかったんではないかと疑ってさえしまう。
最後に提示した希望がおざなりだから逆に絶望が濃くなっているように思えるのだ。

クーンツの楽観主義とはまったく逆だ。
クーンツの楽観は脅迫的なまでの押し付けであり、
読者もその楽観を微塵も疑ってはいけないのである。
もはや宗教的で白雉的すらあるが、僕はこの楽観がすきなのだ。

ペシミズムは何も生まないが、妄信はなにかを生み出すことがある。
それがマイナスであれプラスであれなにかを生み出す。
妄信は現実を攻める力を持ってるからであって、クーンツ的楽観はそんなことばかり考えている僕の、いま求めてるものであるのだ。

2005.03.05 Comment:0 | TrackBack:0
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