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僕が小学生低学年の頃は、ウルトラマンの第3だか第4次のブームの真っ只中で、僕はケイブンシャのウルトラマン大百科なるものを小脇にかかえながら登校し、道すがら怪獣のデータを読み漁っているような子供だった。
そしてそういう大百科には『ウルトラQ』もウルトラマンのルーツとして紹介されていたのだ。

まだビデオデッキも一般家庭に普及してなかった時代。
ビデオソフトもなく、見たければ再放送に頼るしかない。
初代ウルトラマンは放送してもこのウルトラQは全くと言っていいほど放送されず、放送されても朝の6時とかで早起きしないと見れなかった。



『ウルトラQ』がどんな番組なのかは想像するしかなく、その想像も大百科の小さな記事に頼って膨らませるしかないのだが、
子供の僕は、中でも最終回の「あけてくれ!」という作品がずっと気になっていた。

「あけてくれ!」という絶望的な状況を端的にあらわした五感に訴えかけてくるようなタイトル。
夜空を飛ぶ列車の写真。
あらすじを見ると、異次元列車に閉じ込められた男の話らしい。
いったいどんな話なのだろう? ・・・

このたびウン十年ぶりに子供時代の欲求を満たすべく、ようやく見てみることにした。

DVDにも最終巻に収められてるのだが、調べてみると実はこれ最終回でもなんでもなかった。参考にしたのはココ
(※「ウルトラQ全記録」というページで現在リンク切れのようです)

基本的に『ウルトラQ』は一話完結の独立した短編なので、登場人物の物語に連続性はまったくなく、全話撮り終わってからバラバラにして放映順を決めていったらしい。
この「あけてくれ!」が最終回として定着したのは何回目かの再放送からのようだ。
それまでは中途半端な話数で登場している。

しかもこれは「UNBALANCE」というウルトラQの前身となる企画時に発注された脚本を『ウルトラQ』用に流用したもので、脚本も撮影されたのも初期。
そして本放送では唯一お蔵入りという憂き目にあっている一本だ。
「欠番」。これが最終話の理由だろう。

そんな事情もあって、この話は毛色が他の作品とはかなり違う。
「UNBALANCE」と『ウルトラQ』のわかりやすい違いは「怪獣」の有無だ。

恐らく当時日本でも話題になっていたアメリカのドラマ『アウターリミッツ』や『トワイライトゾーン』などを目指したのが「UNBALANCE」だったに違いない。

のちに円谷は、この企画と同じタイトルをもつ『恐怖劇場アンバランス』(1973)という連続テレビ作品を作ったが、これは有名な『怪奇大作戦』(1968-69)の流れを汲む番組だ。

このふたつの怪奇作品と『ウルトラQ』(1966)を含む三作品は、すべて幻の企画「UNBALANCE」の路線上にあり、これらはみな同じ遺伝子をもつ兄弟作品といっていいだろう。
ただし対象年齢層が高かった二作と違い、『ウルトラQ』にだけ巨大な怪獣が頻繁に登場する。

当時はゴジラ映画が栄華を誇っていた時代。
視聴率的な判断から怪奇物語が怪獣路線になり、そのことがのちにウルトラマンの土台となったことからも、怪獣ドラマとしてのウルトラQの貢献度は大きいし正しい判断だったといえる。

ただ、ウルトラ兄弟の対戦相手としての怪獣たちが載ってた大百科を読み込んでいた小学生当時の僕には、巨大ヒーローのでてこない白黒作品の怪獣ドラマというのはたいくつに思えたし、事実、当時の再放送で数本見ることができたウルトラQはたいくつなものだった記憶しかない。
『ウルトラQ』に関しての僕の興味は断然、謎の最終回「あけてくれ!」だけに向けられていたのだ。


  ・・・さて、ここからが実際に見てみた「あけてくれ!」の感想。
まずタイトルのテロップで仰天した。脚本家にクレジットされてるのが小山内美江子なのだ。
金八先生だ。
全28話中、小山内はこの一本しか書いてないのだが。
昔はこんな仕事も請けていたのかと驚いた。
もうここで出鼻をくじかれて、あとは頭の中は小山内フィルターかかって、内容を楽しむどころではなかったのだが、実際のところ非常によくできた不条理恐怖ドラマだったと思う。
だけど、こんな脚本を書く小山内・・・やはりそこに戻ってきてしまう。
劇中、父母の不仲の犠牲になっている少女がでてくるのだが、こういうところはのちの金八につながる要素だなーと思った。

ここらでストーリーを簡単に紹介しておくと、

主人公のカップルが、夜中にドライブ中、空飛ぶ電車を目撃。直後、道端に倒れている男性を発見する。
男は不思議な電車に閉じ込められていた体験を話す。
その電車の中で出会った女性も、のちに同じく保護される。
そしてもう一人、電車の中で出会ったSF作家友野健二が、数年前から失踪していたと知った記者の主人公達は、この事件の中心にこのSF作家がいると確信し、取材を始めるのだが・・・・。

物語は最後にはやや意外な方向に向かうのだが、視聴者によっては肩透かしをくらった気分になるかもしれない。
電車に乗った男の日常を紹介しつつ、明かされていく真相はそれとは対照的に現実を離れ非常に観念的な世界に入っていく。
このへんが「難解」という理由でお蔵入りになった要因だろう。

思ったが、この作品、昔こそ難解な問題作だったかもしれないが、
いまの目で見ると非常に優れた先駆的な作品だったのかもしれない。
細々した仕掛けも小山内さんこんな小技もってんの? と拍手したくなるようなものがある。
そして、もしかしたら、それは後世の作品に影響を与えた・・?

例えば冒頭で、
カップルが休暇中のデートで深夜ドライブをしているときに事件に遭遇するけど、
この出だしはイラストとテキストのみで構成された名作ホラーゲームの『弟切草』とまったく同じではないか。

謎の空飛ぶ列車の描写は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にインスパイアされたものだろうけど、
『銀河鉄道999』が世にでるまでは、このようなSFがらみの形で現代の電車が空を飛ぶという発想を形にした作品はなかったろうし、車掌の不気味な描写も初期の999にそっくりだ(999の後半車掌さんはギャグメーカーになってしまったが)。

そして、物語の核心の部分に到っては『笑ゥせぇるすまん』だ。
調べたが、笑ウせぇるすまんの初出が、1968年のビッグコミック11月号の『黒イせぇるすまん』なので、藤子A先生が再放送でこの「あけてくれ!」を見ていた可能性はある。
逆に言うと、再放送で「あけてくれ!」が最初にブラウン管に映った1967年12月を逃すと、ビデオなんかなかった時代であるから、次は1969年夏の再放送を待たねばならなかったわけで。
ちょっと無理のある話ではあるのだが、漫画家のアンテナは普通より広いだろうし、
時期を考えると、この一致もまんざら意味がないわけではないかも、なんて思ったり。

まあそもそもが、『トワイライトゾーン』の摸倣から始まった番組なわけで、いまいったこともルーツは全然違う古典にあって、「あけてくれ!」も、(この作品においては銀河鉄道の設定がわかりやすくそうであるように)小山内が得意とするジャンク的パーツ取りの手法で作られたのかもしれないですけどね。


最後に作品を見終わった僕自身の感想をいいます。
僕ならあの電車に乗りますね!
電信も郵送も使えるというのがミソです。
理想の世界と現実の世界の両方を堪能できるのです。迷う必要がありますか。
まあ、こっちには戻ってこれないのかな。

ただ、あの男が最後に「乗せてくれ!」っていうのとは意味が違います。
僕はたしかにうだつがあがりませんが、彼と違って理想家の夢想家なのです。
そういう意味では失踪したSF作家に近いのですが、
結局のところ彼の動機もスランプだったことによる「現実逃避」だったわけで、そういうのとは断じて違います!
欲張りなだけなんですね。

ただ僕の電車の行く先に、電信や郵送のシステム、いまだとそれに加えてインターネット環境、地デジやCS放送の受信もできるのかが、かなり不安なんですが。
そう考えるとやはり迷いも出てきますねえ。あれ、この電車窓開かないの?
というわけで締めはやっぱり
あけてくれ!




※ブログを始めて一番最初に書いた記事です。
「あけてくれ!」は人を惹きつけるものがあるのでしょうか、閲覧者も多い記事です。

今読み返すと、ブログというものに初めて触れたのが嬉しかったのでしょうか。
浮かれ気味にいいかげんな書き方をしてるのが気になり若干改稿しました。(2012年7月)

旧稿では『怪奇劇場アンバランス』とか書いてましたが、正しくは『恐怖劇場アンバランス』です。
フジTV系列で放送された怪奇大作戦の流れを汲んでいますが、別局のTBS番組です。


2004.11.25 Comment:0 | TrackBack:0
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