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これ以前TVで見たときに面白かったので、ついまた見てしまった。
ただ今回の放送ではだいぶカットされてたようで残念。

しかしやはり面白い映画だ。
えらく古めかしい古典的な剣劇ヒーローのくせに、ゾロがめちゃくちゃカッコいい。
黒ずくめの衣装もマントもマスクもビシッと決まってる。

なんで続編が出来ないのだろう。
やはり印象として地味めな映画だから興行的に失敗したのかな。

この映画、たしかに印象は良くないな。
30年前に引退した野球選手をラジオ番組に呼んで昔ばなしをさせるようなダルさというか・・・・
埃をかぶった古めかしいヒーローへの偏見ってあるよね。
地味なマイナス要素にみちてると思う。

しかし製作者はそのへんを十分承知で難題に挑んだようで、脚本がとても巧みだ。

まず、主人公のゾロをいきなり二代目にして、全体を師弟もののノリにしてしまうという英断が、かなり効果をあげてると思う。
このちょっとひねくれた設定のおかげで、いろんな王道のドラマ要素が(どこかでみたようなものばかりではあるが)、奇跡的にうまいことからみ合い、絶妙の痛快活劇に仕上がってると思う。

引き裂かれた親子の再開の要素。
マイフェアレディのような、荒馬を紳士に調教する要素。
飲んだくれが一念発起して更正し英雄になるという西部劇の王道のような要素まである。

正義に身を捧げたゆえに、とてつもない犠牲を払うことになった初代ゾロ(ここだけでもヒーローものとしては相当ひねくれている)。
そのため正義に失望しつつも、まだ正義に期待してるこのみみっちい老いぼれに、若いバンデラスが火をつける。
ハンパもの同士が支えあって大事を成す。
これぞハンパものの観客が最も共感する「燃える展開」だ。

まだある。
ラストでの初代ゾロと二代目ゾロの夢の競演、そしてそれぞれに宿命の敵が存在するダブル対決の図式など、サービスに余念がない。

ミサイルも自動車もない地味な時代の活劇で、ラスボスをどう刺激的に殺すかということまでちゃんと考えてあるのもさすがだ。
娯楽作としては佳作以上の出来。

ただ、不満もある。
「仮面」の意味を「悪がいる限り誰かがかぶる」と、
民衆の中に潜む、誰もが持つ潜在的ヒーローのシンボルとして扱った意図はよくわかるのだが、
同時にこの映画は、古典的な仮面ヒーローの復活というイベントでもあるのだから、「仮面ヒーロー」としての要素を前面に出して欲しかった。

映画や小説やTVドラマのヒーローものってのは、
視聴者・読者のヒーロー待望の欲求だけでなく、
視聴者自身のヒーロー願望までも充足させる効能があると思う。
ヒーローの中でも、仮面ヒーローってのはワクワクする。
正体を隠して民衆を救う奥ゆかしさ。

仮面ヒーローがカッコイイのは、
諸事情により、その素顔を隠す仮面が同時に、
「押し付けがましい正義=歪んだ自己顕示」という可能性にまで枷をはめ、抹殺してしまう。
そういう、つつましい機能が無言で備わってるからだと思う。

藤子・F・不二雄の『パーマン』はよくできた異色ヒーローものだった。
ギャグとして描いたためか、作者が人間の内面をよく観察する作家だったからか。
たぶんその両方なんだろうが、パーマンには、人間なら誰でももつだろう英雄願望と自己顕示を抑制する苦悩が丁寧に描かれてる。

パーマンの正体を明かしたときは動物もといパーになってしまうのだ。ウルトラマンも正体がバレると星に帰っていった。
こんな例え、誰も頷かないかもしれないけど、破裏拳ポリマーも正体がバレたときは代償に敵が全滅した。
正体バレは、暴力。性欲。食欲についで人間の原始的レベルの凶暴な欲求である「自己顕示欲」をくすぐる娯楽なのだ。

二作目をもし作るのなら、その部分を強調したものを見たい。
たぶんこの映画を企画するに当たって推進力となっただろう、製作のスピルバーグの「少年時代の憧れを再現したい」という願望が満たされてしまったようなので、続編はないと思うけど。

2005.02.07 Comment:0 | TrackBack:0
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