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これツイッターに書いたけど、フォロワーがほとんどいないので無意味だと気付いた。
ここに移して、加筆。


■ コメディ映画『コマンドー』

Amazonの3枚3000円DVDのラインナップを見てたら、シュワルツェネガー主演のアクション映画『コマンドー』がコメディの部門にランキングされていた。
間違っている。
カテゴリが間違ってるんじゃなくて、そのカテゴリに入れた人間のあり方が。

この映画は一部の人間に熱狂的に支持されてるが、それは本来とは違う意味合いであって、
恐らくこのアマゾンのカテゴリ分けも、ふざけたユーザーのタグ付けが反映されたんじゃないかと思うけど、タグのシステムがよくわからないので、そうではない気もする。
アマゾンがもし、そういう層の悪ふざけに乗っかって、これをやってるとしたら本当に腹立たしい。
映画も仕事もナメてる。


■ ロケットでつきぬけろ』と『MUSASHI -GUN道- 』

似たような遊びに、少年ジャンプの掲載作『ロケットでつきぬけろ』の作家キユを、カリスマ言霊師として持ち上げたり、
BS-iで放送されていた『MUSASHI -GUN道- 』を、傑作アニメとして持ち上げたりする遊びが流行った。
どちらも2chを大きな媒介として広まった。

『ロケットでつきぬけろ』をリスペクトするムーブメントは、作者のキユ氏の巻末コメント欄の発言が“痛い”ところから広まったし、
『MUSASHI -GUN道- 』は、そのあまりにひどい作画レベルが賞賛された。

つまり、ここでの「もちあげる」というのはいわゆる「褒め殺し」であり、どんなに上手く美辞麗句で装飾しても、決して本来の意味でのリスペクトにはなりえない、どこまでいっても「いじり」なのだ。
まずこのことを確認することが大事だ。

二作ともAmazonのページを貼っておく。
ここでのレビューには、揃って品格がないが、そもそもそういう遊びだから仕方がない。

『ロケットでつきぬけろ』
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A7%E3%81%A4%E3%81%8D%E3%81%AC%E3%81%91%E3%82%8D%EF%BC%81-%E3%82%AD%E3%83%A6/dp/4088730674

『MUSASHI -GUN道- 』
http://www.amazon.co.jp/MUSASHI~%E6%94%BE%E9%80%81%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3~DVD-BOX-%E5%88%9D%E5%9B%9E%E9%99%90%E5%AE%9A%E7%94%9F%E7%94%A3-%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%8D/dp/B000GPP35Q/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=dvd&qid=1271500799&sr=8-2


問題なのは、これが大腕をふって当たり前の顔をして「表」にでてくることだ。
ネットの情報伝達は、このあたりの規制のなさが、自由で面白いところでもあり危険なところでもある。


■ 2chの伝播力と実況掲示板

“『コマンドー』いじり”も上記の二作と同じように、2chを媒介として広まったように思える。
古い映画なので、このようなB級映画としての需要は昔から存在していたのだろうけど、
僕が見かけるようになったのは、2chの番組実況板を見るようになってからだ。

テレビで映画が放送されると、実況板には「コマンドースレ」が乱立し、コマンドーをひたすら賛辞するという状況を最近よく見かける。
このAmazonでのコメディ映画のカテゴリ入りも、その流れが伝播したものに思えるのだ。

こういう連中に限って、映画を適当に見て、「つまらん」だの「駄作」だなどと簡単に言えたりする。
そもそも実況板は、放送を見ながら“実況するための場所”であり、「実況」という行為そのものが、
そういうふうに“映画を別の扱い方をする文化”を前提とした場所だといえる。

映画をろくにみずにコマンドーの話をしているのは、放送中の映画を侮辱した行為だと思えるので僕は好かないのだが、こういう悪ふざけは2chのような場所ではありかもしれない。

それでも僕がこの掲示板に行くのは、TVで映画を見たすぐあとにその空気を誰かと共有したいからで、ファンによる有用な情報が多くあったりするのも魅力だ。
しかし、「実況」という名の「ながら見」は絶対にしない。
必ず放送後に行って、同じく映画を見たあとの人たちと語らうのだ。
書き込まれる内容が放送後から圧倒的に濃くなるので、僕と似たような使い方をしてる人は他にもいるはずだ。


■ 体裁を守る理由

こういうB級映画を笑う文化は理解できる。
自分自身がそういう遊びは大好きなほうだから大いにわかるのだ。
品のない遊びにだって、それ相応の価値はある。

ある事象に、本来のとは別の体裁(レッテル)を貼って、本来意図されていたものと違う扱いをするというのは解釈の遊びであり同時に不健康なものだ。
この自覚が大事。

不健康という自覚抜きに、大腕をふってその体裁が歩き出したら、もう下品な文化ですらなくただの性質の悪い悪ふざけ。

『コマンドー』がどんなツッコミ所満載の映画であっても、これは本来バイオレンスアクション活劇であり、その体裁だけは守るべき。
それが文化を享受し消費する者の最低限のマナーだ。
文化を愛するのならば、この一線を越えてはならない。

Amazonのレビューを見ると、「いじる」側の人間にも、作品への本来の愛を持っていると思える懐の大きな感想も見受けられるので、そういうファンばかりならばいいのだが、そうではない人間も混じっている。

その作品がいかにダメだろうと、関わった者の想いはある。
欠陥の多い作品にだって少数のファンがいるだろう。
作品を笑い飛ばす行為は、その向こうにいる、多くの人間を笑いものにする可能性を内包してることを忘れてはならない。
相手が人間ならば、人間に相対するときの礼を持って接するべきで、
それを担保するのが建前としての「体裁」なのだ。


彼らがもし作品をきちんと批判したいのならアクション映画を「コメディ映画」として語ってはいけない。
「ギャグととられかねない陳腐な部分がある」といえば済む話なのだ。
もちろん、そんなことをまじめにいえば、その言説の方が陳腐になってしまうだろう。
ギャグでない作品をギャグ作品として扱うところに、この批判的視点を生かす上での肝があるからだ。
しかし意見が「表」側に出るとはそういうことなのだ。

褒め頃して笑い飛ばすという文化は、あくまで「陰口」でなければならない。
その宿命すら忘れてしまった人は、そもそもこういうブラックなジョークを扱う資格がない。
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2010.04.17 Comment:0 | TrackBack:0
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