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パソコンテレビ GyaO で放映していた『紅三四郎』を見終わった。
『紅三四郎』とはどういう作品だったのかまとめてみる。

僕にとって紅三四郎の魅力は三本柱。
絵がすごい。 演出がすごい。 内容が奇抜。

これらをまとめて一言で表す言葉が『紅三四郎』には、はっきりあります。
それは「スタイリッシュ」です。
絵、演出、構成すべてに、こだわりのスタイルを感じます。

総合的に言うと完成度の高い作品とは言いがたいかもしれないけれど、上に挙げた魅力がズバぬけているので、十分名作だと思います。
これらのスタイリッシュな点は、簡単にストーリーを説明しならがら語っていきます。
長くなりそうなので分けて、演出や絵などの点は画像を交えながら次回から。

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ストーリーは毎回以下のようなもの
①片目の男を追いかけ事件に巻き込まれる。
②美少女が出てきてちょっとロマンス。
③死闘の末、敵を倒す
④人違いでしたー

基本はこれです。
ただその基本を守りながら、やってることはムチャクチャなのが『紅三四郎』のすごいとこです。


紅三四郎は、親の仇の武道家”片目の男”を追いかけて世界中を旅をしている。

行く先々で”片目の男”に出会うわけですが、
相手が片目と聞くや地の果てまでも(ときには戦場など)追いかけていくという、
ストーカー顔負けの勘違い気味の情熱と、偶然(笑)によって、
総勢20人を超す”片目”(中には人と呼ぶのもはばかられる片目もいました!)と闘うわけです。

で、そのほぼ全員が人違いです(笑)。

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なんせ父殺しの手がかりは片目で強い、ということだけですからね。
いや、片目で天下無敵の紅流を倒すくらいの強さなら、けっこう絞られるかもしれません。
しかし三四郎があっけなく倒してきた敵はいませんでしたから、彼らすべてが怪しいわけです。

手合わせして初めてわかることもあるでしょうから、
三四郎のローラー作戦はけっこう理にかなってるかもしれません。
ただ人違いでやっつけられる相手はたまりませんw。

そして人違いにもほどがあるというか、
アイパッチの軍人がいきなり銃を捨てて、
「待っていたぞ」と拳法で闘いだすのはまだ許せるとして (ていうかそんな戦地で待つなよw)、
人違いの中には、馬賊。アフリカの部族。地底人。ミイラ。
果ては、なんてのも出てきました。明らかにやりすぎです。

だが。それがいい。


サイボーグなんてのもでてきました。
これは人違いではなく、巻き込まれ型のエピソードです。
巻き込まれ型のエピソードの中には、刑務所からの迫真の脱出劇もありました。

これは当時としては、潜伏や脱出方法のギミックがよくできていたと思います。
PSの名作『メタルギアソリッド』を最近プレイしたんですが、あれをまんま思わせるような回でした。

基本は「親の仇を追い求め旅をする」というマンネリのスタイルシートができていますが、
その内容は、異種格闘技から脱出劇までと飽きさせず、
実にバラエティに富んだサービス精神旺盛な作品でした。

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作中、一人だけ本物の片目と思われる人物がでてきますが、
たぶんそうじゃないかと視聴者に思わせる程度で説明は一切なし! です。
このへん実に男らしい作品ですね。
この片目が怪しい理由は、唯一三四郎が対戦して負けた相手だからです。

男らしいといえば、
作劇のスタイルも男らしいです。
最初にこの作品はスタイリッシュだといいましたが、
構成まで含めてスタイリッシュなんです。

『紅三四郎』26話のうちの全話ではありませんが、
かなりの話数の出だしが「いきなりクライマックス」です。
つまりこれは、どこかのブログで端的に指摘してる人がいたんで拝借しますが、
紅三四郎は「起承転結」「承」から始まるスタイルなんですね。

大体物語において、主人公が事件に巻き込まれるときは、その前段階で状況を順に説明します。
冒頭に草に寝そべって、平和だなあなんていってると、事件がやってきて、あれよあれよと巻き込まれる。
それがストーリー作りのセオリーのはず。

『紅三四郎』では、一切そういう蛇足や、女々しい状況説明はしません!
「承」からはじまるのです。

これがどういうことかというと、
遺産争いに巻き込まれれば、もうその家に住んでますし。
脱出する話ではいきなり牢屋にとらわれてます。
マッドサイエンティストに捕まってサイボーグにされるときなどは、改造されるところから始まるのです。

けっこう英断だと思います。確信犯ですね。
テンポも良くなりますし、省略した時間を他の描写に使えるという利点もあります。
そういうスタイルを意識して作ってるのです。

ストーリー作りの作法には、最初にクライマックスから入って、
あとから「なぜそうなったか」を説明する「帰納法」というものがありますが、
『紅三四郎』のは、そういったテクニックとは一線を画す、斬新極まりないものです。

それを示すかのような極めつけの回が、
上記の、本物と思われる片目の男との対決シーンです。
人違いを繰り返した末ついに出会えた親の敵。
ここで会ったが百年目というボス中のボスです。

CMがあけ、物語が始まると、
男らしくいきなり対決シーンから始まります。
なぜそうなったかの説明はいっさいございません!

感慨とかそういうのは女々しいのです。
出会う→闘う→負ける。
格闘家を描くのにそれ以上の描写は必要ありません。

三四郎がはじめて負けを喫したあの男が誰だったのかも語る必用はまったくないのです。
自信がないので強気で書いてます。

とまあ、ぶっちゃけツッコミどころ(それも魅力です)は多い作品ですが、
ところどころひねった脚本はお世辞抜きに目を見張る部分があります。
『走れメロス』を下敷きにしていながら、皮肉を効かせた展開にもっていくストーリー運びは渋みがあるし、
敵に服従しようとする民衆のセリフなどは、のちのハード路線の傑作『新造人間キャシャーン』を思わせる重い描写です。
(脚本家は別人です)
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それと、毎回出てくる美少女ですが。
『007』シリーズに必ずボンドガールがいるように、これも定番のスタイルになっています。
恐らくこれは、ボンドというよりは、『シェーン』などの西部劇や、それを基に作られた日活の映画
『ギターを持った渡り鳥』シリーズなどを模倣して作られていると思われます。

事件に巻き込まれた三四郎はだいたい美少女にたっぷり恩を売った上で、片目を追い求め更なる死地へと颯爽と旅立っていくのです。
男らしいですね。

次回は美少女を含めた絵の魅力について語ります。
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2005.12.09 Comment:0 | TrackBack:0
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