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ビデオに録ってあったリニューアル第一回の放送を見た。

問題の総入れ替えされた声優に関しては、そのうち慣れるだろうという予感は早くもある。
14歳のジャイアンが一番ハマってる気がした。
幼い中に凶暴さがある危うさが、まさにガキ大将ってかんじ。
三石琴乃ののび太のママは声に張りがあって良いと思う。
のび太もしずちゃんもスネ夫も無難なかんじ。

肝心のドラ役の水田わさびが、インパクトがないのが少し不安。
なんだろう、のぶ代の代わりなんていないのだから、かわいい感じにしたところまではわかるんだけど、それならとことん可愛くしてもよかったんじゃないかと。
少しダミ声入ってるのは逃げの人選って気がした。
ま、視聴者も演者も、慣れりゃこんなもん誰でもハマり役になるんだろうけど。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
それより、全面リニュってことで、声以外の絵や演出の部分に関しての評価がかなり僕としては高得点。
そもそも、'79年、僕が小学生やってたころからの長寿番組ですから、
もうあちこち制度疲労を起こしてる。

サザエさんもそうだけど、高視聴率のうえにあぐらをかいて、悪い意味でのマンネリを提供してきたスタッフ。

こういうとき
「マンネリをなめるな」と必ずいうのは漏れなく老人だ。

およそマンネリなどというものは、作り手の老人と視聴者の老人以外では取引が成立しない老人専売のものであって、サザエにおいてはどうかはしらないけど、子供番組においては悪だといっていいと思う。

定期的に世代交代がある子供番組の仕組みにおんぶにだっこで、
高齢化したアニメーターや演出家を食わせるための方便になってしまってる気がして、
子供番組に目を血走らせている僕も、もう10数年前からドラえもんが見ていられなかったし、実際時間の無駄なのでほとんど見ていない。
(リニュ直前の最近のドラはそうでないという声も聞くので、デジタル化してからの最近の事情はわからないけど)

番組初期からのチーフディレクターの芝山努は、当初はみずからの気合をいれたレイアウトをしてたり、若さもあった。
情熱と言い換えてもいい、それがドラにはずいぶん前からもう残ってなかった。
(僕は’92年ごろまでの劇場版はすべて観てます。F存命中の『アニマルプラネット』あたりで見限った)

いろいろ一般人には見えない事情もあるだろうし、芝山努のせいだけにしてはかわいそうだけど、もう少し早く後進に席を譲った方が国民的幼児番組である『ドラえもん』のためになったはず。

僕が知ってる数年前のドラはすでに末期を迎えて久しかったと思うが、
もうあのドラはのぶ代の擦り切れた声や野村道代のしゃがれた声とあいまってか、老害の生み出した産業廃棄物にしか思えなかった。

子供に夢を与えるはずの番組が、逆に子供から夢を搾取してた気がするのだ。
何も知らない子供にはなにを与えてもそりゃ新鮮だろう。しかしそれを是とすることこそが、まさに子供だまし。
初心を忘れた残骸でしかないものが未来や夢を語るとは笑止だ。
今回のリニュは遅すぎた決断だったかもしれない。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
さて、一新された絵を見ても、イメージが旧来のテレ朝の看板のドラえもんとは違うことがわかる。
原作絵っぽいのは僕はありです。

原作至上主義といわれればそれまでだし、最近流行の原作絵リメイクは食傷気味ってのはあるけど、原作の絵じゃないとダメな古株作家がいるのも事実。
藤子Fはそういう類の「絵」で惹きつける漫画家だった。
新作絵は、彼の豊かな表現力がそのまま伝わってくることがなにより快感。

旧来の絵は僕は面白みがない優等生的な絵に思えて嫌いでした。
新しい絵は、とくに女性をかくときの横顔の線が途切れてるところがすごい。
PCで彩色してるからセル画時代よりかえって面倒な作業になるはず。
これは藤子絵のもつエロティシズムを認め、敬意をはらったからだと思いたい。
こういう省ければ省けるところに手間をつかってる攻めの姿勢がうれしい。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
地味にすごいと思ったのが3話目のラストシーンでさりげなく使われていた背景のCG。
のび太の住む町全体が完全にCGでモデリングされてるのだろうか。

今回ざっと見た感じでは、CGモデルを使用した背景はこの3話目のラスト部分以外にはなく、つまらない路地の背景まで一枚一枚描かれていたようだが、実際は動かない一枚絵でこそ、このCGモデリング作業があとあとまで威力を発揮するはず。

この手法を使えば、今回の使い方のように一人称視点での移動が表現できるだけでなく。
あらゆる角度の背景を瞬時に人物にあわせることができて、コストや作業時間的にもメリットがあるんではないかと。

しかしそのぶん人件費のリストラが進んでるという予想もつくので、今回の声優監督ともどものリストラ劇とも奇妙な符合をするようでぞっとする部分がないではない。

しかしこのCGの出来は、数年前ジブリがやっていたのに匹敵する違和感のないもの。
そういや前述の線画の途切れ方もジブリの専売特許だったな。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
驚いたのは1話目と3話目の絵コンテのクレジットに米たによしともの名前があったこと。
監督した代表作が、超(トンデモ)熱血ロボットアニメ『勇者王ガオガイガー』という異色演出家だ。

この人を記念すべき第一回に登用したのは正解だったと思う。
もう米たにがチーフディレクターでいいんじゃないかと思うくらいだ。
米たにの担当した1話目と3話目は、2話目にくらべて、明らかにテンポなどのノリがいい。
ドラやのび太の小気味良いリアクション芸をみてるだけで、いままでのドラ演出家がどれだけ安住のうえにあぐらをかいてたかを思い知る。
アニメは視聴者との格闘だ。
旧作で降板したスタッフは、お疲れ様とかいって新作を見ながら「若いもんもやるねえ」とかいって酒を飲んでないで、格闘的演出作法で子供と格闘したであろう米たにの絵コンテの出来上がりを見て、自らのこれまでの卑しい仕事を恥じてください。

そしてですね。
3話目の「思い出せ! あの日の感動」というエピソード。
そしてこれにでてきた「はじめてポン」という道具
これがリニュ一発目のSPにでてきたのは恐らく偶然じゃないだろう。

はじめて見たかのような感動を、視聴者に与えたかった。
そういう新スタッフからの挑戦状だと僕は受け取りました。

もう長期登板が完全に決まってる作品であるので、新スタッフもスタミナを考えちゃうでしょうが、
10年後のことは考えずに、持てる力の限りをフルに使って、原作を消化していって欲しいです。
そして力尽きたら老害を起こす前に身を引いて後進に席を譲ってください。
ドラは国民みんなのものなのですから。

PS:関係ないけどいまIMEで記号を探してたらドラっぽい顔文字ができた。
(ΘÅΘ)

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2005.04.23 Comment:0 | TrackBack:1
監督 三隅研次  脚本 犬塚稔
座頭市..... 勝新太郎   平手造酒.....天知茂
シネスケでの評価とあらすじ

座頭市の第一作目を観た。
勝新監督でリメイクしたやつや、北野武版のアクロバティックな居合い抜きの活劇を期待してたんだけど、刀はほとんど抜かない。
こりゃ和製ハードボイルドだ。
薄汚い街に舞い降りた、鋼鉄のハートをもった孤高の騎士。

冒頭から座頭市は、一宿一飯の恩に預かったはずの飯岡一家で、ヤクザどもを見下し「臭え」を連発。
かと思うと、庭の花の匂いを嗅ぎつけ季節の移り変わりを愛でる。

渡世人のはしくれといっておきながら、座頭市の仁義は渡世の世界には微塵もなく。
座頭市自身が決めた鋼鉄のルールで生きているのだ。

しかしヤクザの世界に縛られて飯を食わなきゃいけない現実も常に市を苛んでいる。
高潔な魂を守るため、腐った街で目明きにはわからない苦労を重ね、居合いと知恵と意志の力だけで器用に生き抜く運命を強要された不器用な天使が座頭市だ。

少なくとも一作目のスタッフは明確にそういうキャラをつくっている。

腐ったヤクザをペテンにかけ金を巻き上げる手腕はそれを体現した秀逸なエピソードだ。

子母沢寛のことを書こうと参考になるデータの検索かけてたら
うまくまとまってる文章をみつけた。
この人データもすごいし、めちゃくちゃ文章上手いなと思ってよくみたら、ネットでは貧乏評論家で有名(?)な服部弘一郎氏のHPだ・・・w
新佃島・映画ジャーナル
さすがプロの評論家の書いた文章なので、これみたら語ることはあまり残ってないけど、引用しながら映画を思い出し感想をいうと。

>文庫本でも数ページしかない子母沢寛の短編をもとに、座頭市というキャラクターをここまでふくらませたのだからすごい。
新選組の伝記作家で有名な子母沢寛。
数ページの短編ということは、作者自身もなにげなく書いたもので、伝記作家の子母沢はそこからイマジネーションを膨らませるほどの意欲を感じなかったのだろう。
魅力的な設定からイマジネーションを受けたのは明らかに作家としての監督の業績。
北野武もこの盲目の侠客という設定から別のインスピレーションを受けたようだ。

>平手は講談・浪曲の『天保水滸伝』のヒーローとして、戦前から庶民に知られた人物だった。『座頭市物語』以前にも、平手造酒を主人公にした映画が何本も作られている。

平手が実在の人物とは驚いた。千葉に墓があるってのだから。
平手のキャラがここまで濃い背景には、すでに一個のキャラとして認知されていたことがあったのか。

>平手は市の剣を一目で「生きるための剣」と見抜き、「俺はその逆だ」とつぶやき酒をあおる。

平手造酒はその洒落た名前のとおり、飲んだくれの廃人剣士。
用心棒として糊口をしのいでいた平手は、並んで釣り糸をたれる敵方の客人座頭市に奇妙な友情を感じる。

この出会いのエピソードがこの映画を名作にした。
座頭市のハードボイルドなキャラが平手とぶつかったときドラマが動き出す。
互いの内に己の姿を映し見た二人の、一生の友情にも等しい一瞬の出会いの美しさ。

市は口には出さずとも、死に場所を探していた平手に引導を渡すのは自分しかいないとどこかで悟っていたのだろう。
抗争が始まって、市を鉄砲で倒すという条件を引き下げさせるために、血を吐きながらも斬りあいに出てきた平手。

狡猾に血闘を避け、平手との対決を避けていた市も、ここに至っては、平手の高潔な魂に報いるためにも全力で相手を斬りに行くしかなかった。
このへんのエピソードは後の日本の漫画文化にもかなり影響を与えてる気がする。

めくら風情がと、さんざ市を侮辱してきた飯岡の親分は、
ラストで手のひら返したように「いっつあんいっつあん」と酒を勧めて大喜び。
その親分に、市はせっかく狡猾な方法で親分からむしりとってやった小判を叩きつける。

頭にきたのもあるだろう。
自分自身を斬るかのような痛みと悲しみが、この下衆どもにわかってたまるか。
そういわんばかりに市が怒りを爆発させる。

しかしハードボイルドを体現したキャラである市にとって、怒りは主役ではない。市は掟に従って生きるストイックな男なのだ。
そしてそんな市には金は命の次に大事なものであるはず。
孤高の騎士が頼れるのは金と自分の力だけなのだ。
その守銭奴市が金を叩き返すというのは頭に血が上ったとはいえ相当のことなのだ。
そこには怒りという下劣な感情を越えたクールな掟が存在するはず。

「市の命は三両ですか」と言い放ち八両まで値上げを迫った(しかもトンズラしようとしてた)市が、最強の剣客と盲目のハンデを抱えてまで命がけの勝負をしたのは明らかに金のためではない。

魂で惹かれあった二人の高潔な決闘を誰にも汚されるわけにはいかない。
小判を懐に入れてしまっては、飯岡の命令で平手を斬ったことになってしまう。
だから、市は断じて小判を受け取るわけには行かなかったのだ。

ラストで、腐ったヤクザの中でも最高に腐った人物が、背後から意味もなく市に襲い掛かる。
作中で一番裏表の激しかった男だ。
市は相手にするまでもないとばかりに後ろ向きに居合いで斬りつけ沼に落として絶命させる。

笹川親分も飯岡親分も斬らない。
市が手を下して死んだのは、平手造酒のほかには、チンピラひとりだけ。
(笹川の討手も市に斬られたが手加減してあるのか息絶えてない)
しかもこいつが、市が最も内心軽蔑していたであろう男だったことも、盲目の市は気付いてないかもしれない。
「まあ、大した野郎じゃあるめえ」
つまらないことをして斬られるやつはつまらない奴なのだ。
そして同じ刀で斬られた平手はまったく逆の意味で斬られたのだ。市の仕込み杖は斬るものの意味を問う。
相手の価値まで斬る妖刀なのかもしれない。

一年後に、平手の墓を訪ねると言って宿場を去った市。
「どうせ死ぬならおぬしに斬られて死にたかった」と言い残した平手の墓の前で市が手をあわせるときは、
「あっしが、あっしの意思で斬ったんで」というだろう。
その権利を金で買ったのだ。

「金で買えないものにろくなものはない」とは、
のちの和製ハードボイルドの旗手大藪晴彦の小説『野獣死すべし』の主人公のセリフだそうだが、
市が薄汚くも尊い小判で買ったものは、やはりそれだけの価値があるのだろうね。

2005.04.18 Comment:0 | TrackBack:1
昨夜、世にも奇妙な物語の春の特別編を放送してた。
外出する直前だったので、最後の「密告(チクリ)ネット」という1本だけでも見てみようとビデオとっといたら。
たまたま野球延長でズレて「密告(チクリ)ネット」は尻切れで見られず、その1本前のがビデオとられてた。

「美女缶」のあらすじ

美女がでてくるカンヅメの話なんて、藤子・F・不二雄が変態妄想を爆発させたような作品によくみられるような、手垢のついたものだし、こういうテーマ自体あんま好きじゃないので、敬遠するところなのだが、せっかくビデオとったのだしと、メシ食いながら見てたら引き込まれた。

冒頭のくだらないSFコメディーな出だしは完全にフェイクで、だまし討ちが待っていたのだ。
一応未見の人のためにオチをいうわけにはいかないので、
口を濁しながら例えるなら、
某シャ●ラ●映画と『ブレードランナー』へのオマージュのような短編だった。
悪く言えばパクりなのだが、二つの違うものをつなぎ合わせてそれが見事に新作として完成されてるのでこれはこれでアリだ。

特に、主人公の恋人へのあっさりとした浮気(裏切り行為)の描写。
これを僕は不愉快に思って見ていたのが、作者の仕掛けたトリックだったと気づいたときは「やられた!」と思った。
しかもそれが主人公の細かい行動や恋人の行動とリンクしてるところも見事。

調べたらこの筧昌也という監督。脚本も自分で書いて、しかも今回放送したのは自作のリメイクということ。
番組HPの紹介文を見ると、
実はこれ、もともとは自主製作映画。脚本・監督の筧昌也は、この『美女缶』で、2003年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のオフシアター部門でグランプリを受賞したほか、自主製作映画で数々の受賞暦を持つ、今話題のクリエーターである。今回の企画は、“奇妙”の企画スタッフが、知人から筧氏を紹介されたことからスタートした。

だそうで、オムニバスものとして成功をおさめてる「世にも奇妙な~」という番組はこういう新しい才能に試し撃ちの場を与える機能をもっているのかも。

そういや僕が石井克人を初めて目にしたのはすでに公開されてた「鮫肌男と桃尻女」ではなく「世にも奇妙な~」の一編であった「BLACKROOM」だった。

61分の物語を20分程度にまとめたことでインパクトは強くなったが、
長編のほうでは叙情豊かな描写が期待できそうなので、レンタルで出てないかな。
オリジナルを見てみたい。

ik______筧昌也ホームページ

2005.04.13 Comment:2 | TrackBack:1
僕は夢をよく見るほうだ。
白昼夢もよく見るのだけど、寝てるときにもやはりというか見る。

僕のみる「夢」は、いろいろな意味で精神的なエネルギーになっているので、
最近神経が疲れてるのか、単に見た夢を覚えていないだけかもしれないけど、
あまり夢を見なくなったので、積極的に見たいと思って寝たら、うまいこと夢を見た。

今朝(というか僕は昼間寝ているのでさっき)見た夢は罠を仕掛けてきた。
以下夢。

薄暗いゲームセンターのようなところでなぜか僕はパチンコをしてるのだが、
僕はパチンコは趣味じゃないので、他のゲームを探した。

コリントゲームがあった(こんなの

台には大きく、小倉優子の写真がプリントしてある。
僕はコリントゲームの白い球をはじいた。

そこでトイレにいきたくなって目が覚めたのだが、
ふといま見た夢を思い出して、考えた。
昔、江ノ島にいったとき歓楽街に古めかしい射的場があって、そこにコリントゲームもあった。
パチンコのルーツのようなゲームだ。
コリントゲームを20年ぶりくらいに夢の中で遊ぶとは。
しかしなんで小倉優子なのだろう。

そういや最近のパチンコはタレントものが多く、小倉優子のもあったようだ。
しかしコリントゲームとは懐かしい。
コリントゲーム・・・コリントゲー・・・コリント・・・

コリン・・・

こりん星・・・!!

知らない人もいるかもしれないので説明しとくと
こりん星とは、頭のおかしいタレントとして売ろうとてる小倉優子(ゆうこりん)のスタッフが考えた星で。
ゆうこりんの住んでる、キチガイだけに見える惑星である。

まあこんなキャラどうでもいいんだけど、
夢の野郎、油断できない。
巧妙にこんなくだらないダジャレを仕掛けてくるとは・・・
リアルでこんなダジャレ言ってくるやつがいたら、反射的に0.5秒以内に頭小突いてるね。
夢、侮れない。

2005.04.11 Comment:0 | TrackBack:0
昨夜TVでやってたアラジンを見る。
僕は日本に住む日本製アニメのファンとして、ディズニーに対する怨念みたいなもんを子どもの頃から抱えていて、ディズニー作品を見るのには抵抗がある。

それは僕の愛する日本製アニメーションが、虐げられてきたカウンターカルチャーだったのに対して、ディズニーは男も女も大人も子供も大好きな花道を常に歩いてきたスターで、日陰者の目からはそれが疎ましく思える部分が多大にあったんじゃないかと思う。

いまでは「アニメ」は和製アニメーションの代名詞となり、ジャパニーズの作ったクールなものとして、欧米に認められるようになった。
ディズニーはといえば失速気味。

’90年代に起こった、日本製アニメへの追い風は、僕の抱えていた怨念を軽く吹き飛ばすぐらいの勢いがあった。
まさにカミカゼが吹いたのだ。

宮崎駿や押井守の活動が地道に台頭してきたこともあるが。
ポケモンやドラゴンボールの北アメリカでの放送が転換点だった。
白人圏の牙城でありディズニーの本拠地であるアメリカの文化防壁を破ったことは大きかった。
アメリカでは、過去に『マッハGOGOGO!』や『鉄腕アトム』のヒット例があるが、日本製だと知っていたアメリカ人がどれだけいただろうか。
アトムはディズニー信者の手塚のディズニー根性丸だしで描かれたリミテッドアニメだし。
マッハGOGOGOだって、バタ臭い絵がアメリカ向けだったのだ。
先祖伝来の2次元文化の潮流を受け継いだ、わが国の真の意味での「アニメ」が欧米の人々に受け入れられた意味は非常に大きい。

それに加えて、ヨーロッパでの長年にわたって放送されてきた日本製TVアニメの実績がここにきて爆発した。
大人になったフランス人やイタリア人青年が、キャンディキャンディもグレンダイザーも自分達の国で作られたものでなかったことを薄々気づき始めたところに、本丸アメリカ城にポケモン旋風のカミカゼが吹いたのだ。

僕は実はアニメ作品としての『ポケモン』は嫌いなのだが、
和製アニメの切り込み隊長としての功績があまりに大きいので、
足を向けて寝られなくなってしまった。

そんなわけで、僕が赤ん坊の頃からの30年来の和製アニメの怨念が解消しつつある。
いま日本は慌ててコンテンツ事業としてのアニメーションに本腰を入れ始めているが、
こうなると逆に保護された文化の宿命としての堕落が心配になってくるのだが、それは別のお話。前置きおしまい。

『アラジン』は文句なしに面白かった。
スピード、テンポ、ユーモアのレベルが高レベル。
無駄をこそぎとってツボをしっかり押さえた脚本。ナンセンスの緩急つけたテンション。
笑いと泣かせとピンチの連続。
どれをとっても極上のエンターテインメントだと思う。
これ劇場行ったら、絶対得した気分で出てこれる映画。
そういう作品って数えるくらいしかない。

あのクネクネとむやみやたらに動く絵と歌劇風味だけはどうもいただけないが、それ以外は手放しで礼賛したいくらいに素晴らしかった。
ようするにディズニー嫌いの僕としては屈辱を味わった二時間だったわけです。

新生ディズニー作品は『ライオンキング』と『ターザン』を見たことがある。
優等生のエンタメ作品だったと思うけど及第点といった程度で、『アラジン』の演出の素晴らしさには及ばない。
(CG作品のトイ・ストーリーは素晴らしかったが、あれはクリエイター個人の才能によるところが大きいと思う)

あの魔神ジーニーの狂ったようなテンションや、王様のすっとぼけた感じは『パワーパフガールズ(PPG)』と似てるなあ。
あまりの支離滅裂な進行ぶりや細かいネタやボケツッコミに、ところどころ大笑いして喜んでしまった。
クライマックスで強大な力を手にいれたジャファーの悪趣味な演出は、血も生首もでてこないのに、ゾッとするような恐ろしさがあった。
この強大な敵を倒すオチがちょっと肩透かしの感があって惜しかったのが唯一の不満。
この脂ぎった作品のラストを締めくくるんだから、
もう少しジーニーとの友情を軸にしたあざとい展開にしても、バチはあたらなかったのにね。
他の構成が見事なだけに難癖をつけたくなる。

PPGにもショックを受けたけど、アラジンはもう10年以上前の作品だ。ノーチェックだったのはうかつだったとしか言いようがない。
アメリカのアニメ侮れない。くそ。

しかし、オリジナル音声は知らないけど。
吹き替え版はよかった。
こういうアニメは吹き替えで見るのがいいとおもうので、吹き替えのクォリティは大事だ。

主役の羽賀研二が意外にハマってたな。
この頃ストⅡのアニメ映画で羽賀が上手に主役のケンを演じてたのを思い出す。
いま何してるんだろ。
梅宮アンナとのドロドロのスキャンダル抜きにしても、芸で食ってける人だと思う。

普段は、とっぽい役柄の演技しかしてないと思ってた山寺宏一の内海賢二タイプの演技は神業レベル。
声優界の優等生だとは思っていたけど、この人普通じゃないのがハッキリわかった。
マジ恐ろしい、こんな人間居るのか。
司会業とかに手を出していまいち伸びないおはスタの山ちゃんは、マヌケの皮をかぶった鬼だ。
声優の鬼だ。
正直内海賢二には失礼だが、山寺宏一がいれば内海はいらないかもしれない。
でもホントそう思う。(しかしホントに失礼だな)

2005.04.11 Comment:0 | TrackBack:1
たいおいんぐwそhとにはままちる

ふぁえま


だめだ。

タッチタイピングが少しは出来るようになったかと思ったけど、全然ダメ。
いつもどおり、キーボードを見ながら、書きます。

タイピングソフトにハマっている。
といってもこの3日くらいなんだけども。

有名な「ozawa-ken」とかもやってみたんだけど、ああいいうのはある程度ブラインドタッチを習得した人がやるには面白いのだろうけど、僕のようなヘボちんには敷居があまりに高いのだ。

市販の「特打」とか「北斗の拳」とかもやったことあるんだけど、
ゲーム性にあまり興味をひかれなかった。


僕のタイピングの最大の問題点は
我流のタイピングのクセがついてしまってるということだと思う。

もとはといえば日本でパソコンが普及し始めたPC-8001の頃に身についてしまった癖で、そのころといまのWINマシンのキーボードの配置の規格は変わってない。

僕は我流でタイプの仕方を覚えて、悪いことに、それをマスターしてしまった。

ブラインドタッチはできないものの、キーボードを見ながらだとそこそこ早い。
だからこそ、この悪習慣を手放さないでここまできてしまった。

タッチタイピングを始める機会はいくつかあったのだけど、
WINマシンを買ってから僕はネット依存っぽくなってしまって、
チャットや掲示板で我流タイピングの腕をますます磨くばかりで、
タイピングの練習をしようという目標は2ちゃんねるやMSNメッセンジャーの前に脆くも崩れ去った。

最近はこのような狂ったネット生活から離れて久しいのだが、
ふと、あの頃の目標が蘇った。
正しいタッチタイピングを覚えてみようかという気になったのだ。

そのために犠牲になったのが、PC作業の合間や、なんかダリーときにやるゲームとして定着しつつあった「ななかクラッシュ」だったりするんだけどw

子供時代からの根強い癖を直すのは、ハンパじゃない。
で、選んだタイピングソフトが、以前から目をつけてたこれ。


Meviさん作のフリーソフト
FANTASIA DE TYPING

腰をすえてやってみると僕にかなり向いてるゲームだった。

僕みたいな飽きっぽい人間は、対戦格闘とかのタイピングでは目標意識が定まらずにすぐ放り出してしまう。

このゲームはそのモチベーションを維持するという意味でかなり面白みのある要素がある。
これは街を育てるシミュレーションゲーなのだ。

タイピングで稼いだお金を投資して、
なにもない荒地に、木や草を植え、川をひき、集った資材を元に
果樹や放牧用の牛を買う。
そして家を建てて、人口を増やしていくというゲーム。

やってみた感触ではシミュレーション部分は大味で、それほど細かいつくりこみはしてないようなのが残念だけど、
タイピングを習うという本来の機能はかなり満たしてる。

僕のように正しい指の指の配置もできてないような輩が、一から正しいタイピングをできるように導いてくれるように出来ている。
そして、どうしてもキーボードを見ながら打ってしまう癖が一番の大敵なのだが、

このソフトは、画面上に仮想キーボードを表示してくれるというのが親切で、
タイプに応じて点滅するこの画面上のキーボードを見ることで、手元を断じて見ないというタッチタイピングの鉄則がおのずと身についてくのだ。
なんだかタバコ中毒の人がニコチンパッチを貼ってるかのようだ。

早くも二日めで正しい指の位置で打つ事の苦痛が減っていき。
三日目にはある程度早くなって、得点も高く出せるようになってきた。

そこで安心して自信満々に書き出したのが冒頭の呪文のような無残な文字列なので、
あまり過信するほどの実力は身についてないようだが、
まだ始めたばかりだからこんなものだろう。

今この文章もキーボードを見ながら我流で書いてるけど(そうしないと文章が自然とでてこないのだ)、
少しずつでも矯正していって、いずれはブログを書くときやテキストエディタに向かうときも、正しい指の位置でタイピングが自然にできるようになりたい。

そして最後はブラインドタッチが出来るようになれば、いいなと思う。
三十の手習いだが、成功すればかけた時間は取り戻せる。

ブラインドタッチを操る人の恐ろしいほどのタイピングの速さを見て、
僕にはとても無理だと諦めたこともあったのだが、
今回のタイピング練習を始めたことで、彼らの神業的なタイピングの秘密の一端が見えた気がした。

要は指の定位置なのだ。
正確なキーボードと指の関連のイメージ像ができあがれば、鬼神のごときタイピングも夢ではあるまい。

ところで肝心のゲームの中で、かなり前に設置した家と牛と畑がちっとも完成しないのはどういうわけだ。
家がないと人がすまないシステムなので、わが町はいまだ無人なのだ。

まあ1000年のゲームのうちまだ7年目。
升目が埋まるか期限が来れば、人口に関わらずGAMEOVERなので、とにかく荒地を全部設置物で埋めてやろう。

そのためにはタイピングをして稼ぐのだ。
正しいタイピングでね。

2005.04.04 Comment:0 | TrackBack:0
おい大変だ!

 お前んち

燃えてるぞ!!!



2005.04.01 Comment:0 | TrackBack:0
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