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ギャグ漫画の神様、赤塚が死んだ。
実際は何年も植物状態で、その何年も前からアル中で作家生命はとっくに終わってたのだけど、
死去の報道をみると、やはりひとつの時代が終わったことを痛感する。

90年代中盤、お笑い芸人がシュールなコントの頂点を極めていたとき、ようやくお笑いがギャグ漫画に追いついたと思った。
それはストーリー漫画の世界に手塚治虫がいたように、ギャグ漫画界には巨頭の赤塚がいたからだ。

赤塚は、天才バカボンやレッツラゴンでやることはやりつくしたといっていいくらい、漫画の文法もしきたりも、それまでのギャグの観念そのものもぶち壊した。


以前、古本屋で’70年代後半の少年サンデーを買ったことがあって、そこに載っていた赤塚漫画(あまり有名でない作品なのでタイトルは忘れたが)を読んで衝撃をうけた。
主人公の一家の子供が、その家で飼っている犬とそっくりの顔なんだけど、一切その説明がない。
説明がないけど、なにが起きてるかは、ちゃんと明示されてる。
強烈な設定が説明されないまま(しかも少年誌で)進行する気味の悪さとそこから生まれるタブーを破る痛快さ。
しかし、この強烈さが当時の読者にちゃんと伝わっていたのかは疑問だ。
いま流行ってるCMで、犬と黒人が混ざった家族がでてくるのがある。
そのシュールな設定を我が手柄といわんばかりのディレクター氏だが。
先の漫画を読んでいると、
いやいや、その発想の原型は赤塚漫画じゃないのといいたくなる。
僕は赤塚の最盛期を体験できなかった世代だけども、ディレクター氏は赤塚直撃世代のはずだ。

ギャグの頂点は70年代にすでにひとりの天才と、そのブレーンたちの手によって極められていて、今消費されてる「シュール」はその遺伝子を再生産しているにすぎないのでは。

赤塚漫画は、今読んでも十分通用するというか、
いまみたいに先鋭的ギャグを消費する下地が完全にできあがった現在こそ、
赤塚漫画をもういちど読み返す必要があるのではないだろーか。
時代がようやく赤塚に追いついたのだ。
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2008.08.02 Comment:0 | TrackBack:0
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