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「MASTERキートン」の続編が執筆決定!舞台は20年後
http://news.mynavi.jp/news/2012/02/29/120/

ギャーーーーーーーーーーーーーーーー!!! 
このニュースを見て頭に思い浮かぶ言葉は「ギャーーーーーー」しかない。
そうかこれが嬉しい悲鳴というものか。

あーでもなあ。パート2ものってガッカリするものだからなあ。期待したらその毒で死ぬのかもしれない。
いかに浦沢&長崎の天才コンビのプロデュースとはいえ。

あと、二人と争って追い出された形の原作者の勝鹿北星氏の貢献度が言われてるより大きいんじゃないかと感じ始めてるってことも不安要素としてはある。

特に初期の珠玉のエピソードは、浦沢&長崎コンビのセンスじゃないと思うんだよなあ。
逆に言えば後半エピソードの味ならおおいに期待できるのかも。

2chでは「太平の遺影から始まったらどうしよう」というブラックな予想もあったけど、ありそうだなーw
いや、むしろ飼い犬の太助の遺影を前に、二代目犬と若い姉ちゃんをはべらせたヨボヨボじじいとして出てくる可能性もあるか。

なによりキートンと、当時高校生だった娘百合子のその後だよな。
まだオプをやってるのか、発掘はしてるのか。
いやいや最悪、軍隊に戻ったという無味乾燥な設定になるのかもしれないぞ。

なんにせよ期待と不安が入り混じった気持ちだ。


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2012.03.02 Comment:0 | TrackBack:0
『20世紀少年』のコミックスを数日かけて読破した。

うーん、夢中になる作品だけど、なんか響かないかも。
まず主人公たちと世代が違うので、60年代後半から70年代の文化を混ぜ込んだ構成がいま一歩乗り切れないのが大きい。
あとロックが好きじゃないので、音楽に対する愛があふれているだろうこの漫画の、その底に流れているリズムに共感できない。
だもんで、読後に感想でも書こうかと思ったけど、とくに鼻息荒くして書くことが見当たらないかな。
ファンタジックで壮大な終末的未来を過去とクロスさせて、多くの登場人物にスポットを当てながら進む群像劇になってるあたり、日本を舞台に漫画という表現方法でスティーブン・キングのようなホラーをやった感じだろうか。


やはりさすがというか、キャラがいい。
オッチョの陰のある強さと、子供時代のかわいさのギャップがたまらん。

かっこいいといえば、春波夫。
先にテレビでみてたけど、映画でもこのかっこよさは同じ。
「チャンスがあったらおやりなさい」にはシビれる。
映画にはなかったけど、そのあとに続く似顔絵を描くシーンもかっこいい。
宮本武蔵のような一筆入魂の似顔絵を描くことで、天下人の首を獲る。
あのあたりはゾクゾクくる。
20世紀少年で一番好きなシークエンスはここ。

あとコイズミが最高にかわいい。
ともだち暦になってからは、ボーリングがらみで少しでてきただけなので、もう少し出番が欲しかった。


あー、それとやっぱ”ともだち”か。


(※ 以下遠慮なくネタバレあり)


うーん、やっぱこの作品の核は”ともだち”なのかな。
以前NHKのトップランナーだかプロフェッショナルに浦沢さんがでてたときに、”ともだち”の正体は重要ではないけど読者はそっちばかり気にするので困ってるみたいなことをいってた記憶があるのだけど、読んでみたらそりゃしょうがないでしょうと思った。
さんざん”ともだち”の正体でひっぱてる構成だし。

フクベエで終わらせておけば、その言い分もかなり支持できるのだけど、
二人目の(入れ替わった)”ともだち”がでてきちゃったら、なんかそれもなあと。

”ともだち”の設定に関しては、やはりこないだNHKでやってた爆笑問題との対談番組において、
最後のシーンはすでに頭の中にあったというから、たぶん着地点は本当に最初から見据えていたのだと思う。
成長後のカンナが第一巻の最初にすでに出てきているのをはじめ、
初期設定からあまりぶれることなく、あと付けっぽい設定やエピソードにしても伏線をかなり前から出してるという緻密な構成力はさすが。



僕は、万博にいかずに夏休みを自宅で過ごしたフクベエの描写などが大変面白かったので、
フクベエの性格と、その性格ゆえに”ともだち”になるまでの過程をきちんと描いて欲しかったのだけど、
ふたりめの”ともだち”が出てきちゃった時点で、その筋は霧散してしまって、
妙にトリッキーな構成の鮮やかさだけが残ってしまった印象なのが残念。

しかも真相は微妙にぼかしてある。

最終的に”ともだち”はカツマタくんで確定なわけだけども、
その着地点は決まっていたとしても、途中から二人目のお面の子(サダキヨでない子)の存在を出したあたりから、作者の迷いによるストーリーの乱れがあるような気がした。

紆余曲折はあったかもしれないけど、とりあえず完成した作品。
作者の頭の中にはきちんと最初から最後までの筋の通った真相はあるのだろうけど、
それをハッキリと明かさないのもそういうテクニックなのだろうね。
エヴァみたいな感じの。
だから、読者はその意図に踊らされて想像するしかない。
考察サイトをちょっと巡ってみてもいろんな意見がある。

おのおのが自分の答えを持てばいい。



もうあれこれ考えをめぐらせるのはめんどくさいし、この作品にいつまでも縛られたくはないので、
僕もネットで見た意見なども拾って組み立てることにします。
それが結論なので、僕的には他に真相はありません。
僕の答えはこう。

カツマタくん=二人目のお面の子=死んだことになってるけど死んでない。
死んだことにされた理由は、ケンヂの万引きの濡れ衣をきせられ、
フクベエによる死亡宣告(葬式ごっこのようないじめ)を受け、それが噂として一人歩きし、
それがフナの解剖の前日に死んだという噂になる。


カツマタくんは本当の超能力者。
理由はラストシーンの「こんなふうに死ぬとは思ってなかったよ」というケンヂのセリフを予知夢で見ているから。


覆面をとったカツマタくんの顔はフクベエそっくり。
「整形か?」といってるが推測に過ぎない。
むしろ双子。
だからこそ、(ただの替え玉でないからこそ)友民の中枢にいる人物の誰も、万丈目ですらその存在を知らない。
子供の頃からフクベエとカツマタくんの二人だけの秘密だった。



カンナの母キリコは、命を懸けた人体実験の被験者になりながら答えた質問で、カンナの父はフクベエだと証言している。(死ぬ前の人間は嘘をつかない)
実はキリコが気づいてないだけで、双子なのをいいことにカツマタくんがフクベエの妻を寝取った。
(キリコはのちに声も姿も同じなのに、”ともだち”が入れ替わったことに気づくという勘の良さがあるが、それは覆面をした状態だからであり、顔が同じ=同一人物という先入観の前では意味がなかった)


超能力があるのはカツマタくん=超能力があるカンナの父はフクベエではなくカツマタくん。
(仕掛けを作って宙に浮いていたフクベエには超能力がない)


カツマタくんは超能力を子供の頃からたびたび使っている。
恐らく教室のスプーンを全部曲げたのはカツマタくん。

興行師だった万丈目の前でスプーンを曲げたのはフクベエ。
なぜなら万丈目も喫茶店でスプーンを曲げてるのでトリックを教わっただけ。
万丈目は最後にバーチャルアトラクションの中でスプーンが曲がったことに喜んでから消えるので、彼に超能力はない。

TVに出演したのはカツマタくんの可能性はあるが、自己顕示欲の強いフクベエは晴れ舞台を譲らないはず。
ただしカツマタくんが横からサポートしていたかもしれない。
だからフクベエのいうように、トリックなしで収録中にスプーンが曲がった可能性はあるが、
新聞記事のままで、フクベエがトリック見破られたのに、万丈目にしれっと嘘をついてるほうがキャラクター的にあっていると思う。
トリックバレた上に、嘘の上塗りして、「みんなに復讐する」と逆切れ。
そのほうがフクベエらしい。


フクベエとカツマタくんは
2015年の理科室でフクベエがヤマネに撃ち殺されたあとに入れ替わった。

フクベエの死後、バーチャルアトラクションの中の理科室に現れた”ともだち”はカツマタくん。
カツマタくんは、このときフクベエの足をひっぱり「お前はここで死ぬんだ。これが真実だ」(コミックス14巻)といってるが真実ではない。

過去の回想で描かれた、理科室の真相。
(コミックス16巻)
このときフクベエ、ヤマネと一緒にいたお面の少年は、サダキヨではなくカツマタくん。
だから21世紀の”ともだち”(カツマタ)の夢の中に記憶としてでてくる。

(連載開始時点ではドンキーが逃げた理由は、サダキヨの死体を見たから=小学生のときにふたりは入れ替わって復活しているというプロットがあったかもしれないが、2015年ヤマネが”ともだち”を撃ち殺したことで、その線は消えたのかも。ヤマネの「ここでともだちは生まれた。いや死んだというべきか」という意味深なセリフは作者一流のブラフ)
このときドンキーが逃げた後、ロープの仕掛けが切れて、死にそうになるが死んではいない。
バーチャルアトラクションの中で足を引っ張ったのは、死んでないけどこのとき死ぬべきだったという願望の現われた行動。




ハァハァ・・・・

・・・という風にこれは作者にいいように踊らされる漫画なのです。
踊らにゃ損損。

2009.09.16 Comment:0 | TrackBack:0
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