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( 孫向文さんは、中国から来た漫画家さんです。
twitterでブロックされまして。それを機会に考えをまとめたツイをしたんですが、手違いで文章のつながりがおかしくなってしまったので。保存がてら、時系列順にこちらにまとめます。
記録の意味から文の整形だけで、ほとんどそのまま転載します。 )




2016年10月22日(土)

孫向文さんにメンションを差し上げたのだが、ブロックされた。

彼はtwitterで絡んでくる連中ともやり取りしてるし、エゴサーチもしてるようで「アメリカのスパイで貧乏臭い」等という言い掛りには喜んで反応してるので。僕の指摘程度は無事だろうとタカを括っていたがそうでもなかったようだ

posted at 16:21:31


ちなみに、ブロックの直接のきっかけの孫向文さんへのメンションはこれ。

https://twitter.com/gugugu001/status/789473932730445824
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gugugu @gugugu001
@sun_koubun 孫向文さん。youtubeで公開された問題の動画を撮影したのは沖縄出身で在住の人物で芥川賞受賞作家でもある目取真俊氏です。「土人」を言った瞬間カメラに向かってますので間違いなく日本人に向けられた発言なのです。


http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/18/helipad-okinawa_n_12550510.html
23:30 - 2016年10月21日

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単なる事実誤認の指摘であり。これをブロックすることには感情由来の他にも意味を伴う。

posted at 16:24:19


Chromeのアカウント切り替えを使えば彼の垢はすぐ見れる。今も見てるし彼への興味が消えた訳ではないので定点観測はし続けると思う。
こういう所が面倒くさいのだろう。ブロックはある意味正解。──ただし、本人にまともなジャーナリズムを扱ってる自覚が<ない>ならば──の話。自覚が焦点。

posted at 16:29:09


そういう意味では、僕の興味の源泉である<疑問>にひとつヒントを与えてくれた。

僕が昨夜、初めて話しかけたのは。
今回、彼が扱ってるネトウヨ的話題が、「沖縄」問題だったからだ。
以前から、僕は彼が沖縄の話題を持ち出せば、多かれ少なかれ僕の側の対応が不穏なことになると自覚していた。

posted at 16:34:40


沖縄問題は僕にとっては自分の出自に関する話題であり、当事者感覚が一段階強いからである。
彼のネトウヨ的手法でこの問題を扱う事は、日本の愚かな人々のそれよりも強い意味がある。
それは外国人が適当な覚悟で口を出すなという(僕とは真反対に位置する)当事者感覚の欠如からくる憤りでもあるし。‥

posted at 16:37:01


もうひとつ、孫向文さんが使命感を持って普段から口にする中国共産党への批判とも激しく矛盾することになるだろうと思っていたからだ。

果たしてその通りになっている。
彼は僕をブロックしたその直後に、二つの見過ごせないツイートをしている。
ひとつは‥‥

posted at 16:39:38


‥ひとつは中国での<ウィグル人差別>への批判。もうひとつは、沖縄の大阪府警機動隊員が処分されたことへの批判である。

彼は一方の口で、虐げられるウイグル人に同情して見せ。もう一方の口で、沖縄人に差別的発言をした機動隊員の処分を「これはファシズム的な言論弾圧の事案です」というのだ。

posted at 16:43:15


この二つの問題が間を置かずに同じ口から出てくる事が孫向文さんの重大な資質だ。欠陥といってもよい。
同一国の中で利益や負担を分配するときに、不公平が生まれてもそれを政治的理由で放置し格差を是認する。そこに民族的な差別が絡んでくる。二つの国の一地方の切り捨てはほとんど同じ問題である。

posted at 16:45:39


これは国の政治形態がどうとかでなく。どこにでも起こり得る構造であり。公平に社会を眺めてる者ならば、一方を批判し一方を労うということはあり得ない。つまり、僕が「事実の指摘」をしたことによりブロックされたという事は、孫公文さんの不公平さの結果という意味において見事に相似形なのである。

posted at 16:48:22



まあ孫向文さんについては一気に言い散らしてもアレなので。
言いたいことはまだ色々あるけど。また後日ね。

一度彼と日本の漫画やアニメの話をしてみたかったんだけどね。
ブロックを機に彼への配慮をもう一段階開錠するけど。
彼のしょうもない信者の中にアニメの話とかできる奴いないでしょう

posted at 17:04:02


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2016.10.22 Comment:0 | TrackBack:0
(twitterのツイートに加筆)
2016年04月29日(金)

『アメイジング・スパイダーマン』観たけど面白かったな。ライミ版の悲壮感は嫌いじゃないけど苦手~ってのもあり。ライミが降りて大モメの末の結果としては上々かも。
アンチライミとしてこれが見たかったってのもあるけど。それよりシンプルなプロットを邪魔しない冴えた演出の誕生譚はすかっとする。


アメイジング~は細かいところの演出やせりふ回しが一々良かった。
叔父の敵になる男の強盗の際に放り投げた(ある意味善意の)ドリンクを受け取るシーンとか、闇に落ちてる未熟なピーターの描写としてシンプルでぐさっとくる。
あれあるとないとでは「大きな責任」のテーマ性含めて印象が変わってくる

あと叔母に買って帰る約束の卵パックが無言の帰還に繋がってたり。コナーズ博士がガラスに右手を映してリザードマンになる決意をするシーン。最小限の台詞のままで奥深さを出す演出。
その台詞にしても恋模様を描くのに「部屋番号書かなかった、なぜかな」とか。さりげないとこにじわっとくるのが多い。


これは、往年のドナー版『スーパーマン』にも通じる王道リブートなんじゃないかと喜びつつ、不思議だったのは『アベンジャーズ』と同年公開だし、企画段階でマーベルのクロスオーバー作品群のラインに統合予定だとしたらそこが解せなかったのだけど。wikipeみたら2作目が興業でコケて、…

『アベンジャーズ』の流れのマーベル・シネマティック・ユニバースに組み込まれる事になったと…。『アメイジング・スパイダーマン』の本気を感じるリブートの出来にはそれで納得したけど、それだけに残念。監督同じだし、今夜放送の2にも期待してたところだったんだけど、どうなのかな。

そういや、ピーターが使ってたPCのモニタが今更SONYだったのが気になったけど。スパイダーマンの映像化の権利持ってるのはあくまでソニー傘下のコロンビア映画で、ディズニー傘下のマーベルスタジオと連携するのに渋々承諾したみたいなことかな。



2016年05月16日(月)

『アメイジング・スパイダーマン2』見た。このマーク・ウェブって監督やっぱり好き。 言葉にするとたいして文字数使わないような短いセンテンスの中にそれ以上の意味を込めようとする演出方針は、今作も冴えわたっていた。

始まりからして、墜落する機内で割れた窓から差し込む夕日を背景に息絶えた妻を見守るピーターの父の表情とその情報量。
その息子は、カーアクションの激走のさなか、並走するパトカーの中にグウェンの父の幻を見る。
そして終盤では落下する瓦礫の中で歯車などの障害物を(正確に迷いなく)避けて進みゆく<糸>、本当に大事なものを掴もうとする手のような形状の糸だ。
いずれも動の中に静を見出す演出。

冴えた演出をする監督って、映像センスとは無縁なのか。これぞという「いい絵」は一枚もない。
(これは3D上映用に見栄えのする映像を第一に考えて撮影した弊害もあるのかもしれないが)

やや現実離れしたイマジネーション先行の印象的な仕掛けの中で、カットとカットの間に込められた情報に心を誘導される感覚は、映画というよりも、行間にイメージが浮かび上がる小説の醍醐味に近いように思える。


こういう方法論が生み出す最大の効果は、恐らく個々の登場人物を掘り下げる役割で。
シーンやカットが打ち出すイメージと絡み合うように、主人公側から悪役まで、キャラの心情が最小限の方法で印象的に描き出される。
その恩恵として、『ライターの都合や偶然』によってイベントを消化している感がなく、あくまで人間の心の動きによって物語が進んでいく感覚が心地よい。
例えば、細かいとこだけど。父親から拒絶されたと思い込み、父親の素性を知ることを頑なに拒否してきたピーターが、再び猛烈に父の事を調べ始める動機が、恋人との別れが迫る不安や喪失感を振り払うためってのがいい。ストーリーが登場人物の心の動きでひっぱられていく。

大きな見せ場でいうと、電飾で飾られた街の絵面そのものには、心をつかまれる構図の冴えとか映像美は一切ないが。町を埋め尽くす電光掲示板に映された多数のエレクトロの顔が、全てスパイダーマンに書き換わっていくことで。エレクトロが抱えたやるかたない悲しみと、その奥に持ち続けた「スパイダーマンへの憧れ」が、そのままのエネルギー量で「憎み」に変化していくのが手に取るようにわかる。これでは彼が暴れるのは当然だ。エレクトロの殺意に折り紙がついたわけだ。

そしてこの映画にはもう一人の主要怪人として、グリーンゴブリンがいる。
今作のグリーンゴブリンには、父を殺したスパイダーマンへの復讐という筋書きはなく、宿命に耐える孤独と死の恐怖から心が歪んでいく過程を丁寧に描いた。

特殊な生い立ちと生活環境ゆえに、誰も信じられなくなって精神を病んだ無言のハリーが、尋ねてきた旧友ピーターを呼び止めるタイミングと確実にあった友情の存在。
変わってないものと変わってしまったものを、ここでは「スナップを利かせるんだ」と(スパイダーマンの暗示)水切りの石で表現する。
映像美よりもシチュを作り出す名人という感じだ。



物語のテーマとしては、大いなる責任というより、「大いなる挫折」から希望を取り戻す話だった。
もちろんヒーローである以上。彼が戻ってくるのは「責任」と大いに関係してるのだが。
そのために必要なプロセスの存在の方が、より強調されていたように思う。

のっぴきならない事情で街を去ったヒーローが自らの意志で帰ってくる。これはアメイジング~一作目がリチャード・ドナー版の『スーパーマン』を彷彿とさせる出来だと以前書いたのと今回も見事に対応する。


リチャード・レスター版(にドナー版から作り替えられた公開ver.)『スーパーマン2』も、ヒーローが去って、やがて使命の為に帰ってくる物語だった。アメイジング~2作目では、この構図のために次の恋人になる役割だったキャラ=メリー・ジェーンをわざわざ女優を降板させてまでして削っている。大成功だと思う。

そして、エレクトロとの悲しい出会いと対比させる構図で、かつ伏線を巧妙に隠して持ってきたラストでは。挫折から一人で立ち上がって戻ってきたスパイダーマンのフィニッシュの台詞がある。
彼を待ち望んでいた街の住民の前に帰還を果たしたものの一足出遅れた彼は、先に舞台に立ったもう一人のスパイダーマンにいつものお調子者の口調で語りかけるのだ。

「やあスパイダーマン」 は、ヒーロー映画史に残る名台詞だと思う。


マーク・ウェブ監督は「アメイジング・スパイダーマン3」を最後に勇退するつもりだったみたいだけど、興業的な理由でその続編が潰れてしまって、この監督も自動的にお役御免みたいな悲しい終わり方。
三部作にしたらライミ版を超えてた結末だったかもしれないのに。
でも、僕は次回作も注目してます。

2016.05.21 Comment:0 | TrackBack:0
(twitterに加補筆)

岩井俊二企画・脚本のドラマ『なぞの転校生』を毎週楽しみに見ている。

最初、変態ハゲの着替え盗撮シーンから始まってどうなることかと思ったが、回を追うごとにどんどん面白くなっていく。

今週第9話の冴木のセリフがいい。

「僕に手足をもがれた虫は、言葉を喋れたら僕に”ありがとう”と呼びかけるかもしれないじゃないか」

転校生=山沢典夫をためらいなく屋上から突き落とすような異常人格者の冴木だが、
彼は家庭に問題を抱えた小学二年生の頃、すでに虫の足を好んでもぐような子供だった。
だが担任の三枝愛子先生は、彼を優しい子だと言い、
家庭訪問した際、彼の両親のこともまた優しい親だったと、クラスのみんなの前で言った。

しかし実際の冴木家は、父親が母親に暴力をふるう壊れた家庭だったのだが、担任の先生にはそのことは見えなかった。

この歪んだトラウマ体験から冴木は大事な気付きを得る。

「三枝愛子先生は身をもって僕にあることを教えてくれた。世界は自分で決めればいい。自分が思い込んだ世界こそが自分の世界であって、他人に決めさせるものではないんだ」

冴木は、自分とその家庭を手前勝手な思いこみで理解の中に収めようとした三枝先生の傲慢を正しいと評し、凶悪な性根を隠さずありのままの自分を生きることを選んだ。
その姿勢のみにおいては、彼の考え方は公平で筋が通っているといえるものだ。



その冴木の人格を強制洗脳で友愛的に改変したのが、なぞの転校生─山沢典夫のモノリスで、
このテクノロジーは明らかに人道的に狂った使われ方をしているのだが、彼ら異世界人はそれに依存しすぎて、おかしいという感覚すらない。
それゆえ彼らの世界はモノリスのために滅んだらしい。

異常人格者から「人格者」へと強制的に性格を変えられた冴木が、転校生のモノリスの洗脳を逃れて(別のモノリスに操られてはいるが)本来の人格を取り戻したというのは、彼の正当な権利を取り戻したにすぎず、その結果彼は凶悪な人間に戻った。

多くの人にとってそれが不利益な事であり、
また世の中の大多数の人間にとっては、蘇った彼の人格が成しえることが不正義であるという事に間違いはないが、
この物語が提示してるテーマとその誠実さの前では、視聴者はそれを単純に悲劇だと言いきれない。

それはたぶん、世界がもともと美しさと同時に、(冴木が言うように)残酷で悲しい部分をもっていて、実はそれこそがあるべき自然な姿なのだと。
そういった事をこのドラマでは隠さずにあえて強調していて、その文脈の中には、真実に光を当てるかのようなある種の清浄感のようなものがあるからなのだろうね。



あと「王妃の放射線障害」や「プロメテウスの火」というキーワードに象徴されるように、
この番組には反核のメッセージと受け取れる痕跡がところどころにあって、それらの要素が小出しにされ始めてからは、どうしてもそのような目線で見てしまう。

東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の事故以来、
反原発活動に傾倒してる岩井俊二にしては、この時期にドラマに初挑戦しての「これ」というのは、むしろずいぶんおとなしい表現だなという印象を持ってたのだけど、
この数話かけて、異世界(D-8世界)の人達の台詞や、こちら側のD-12世界を初めて見た時のリアクションを数珠繋ぎにしてくのを見てるうち、予想外に重い表現だなと思うようになった。

異世界から来た連中は皆一様に、こちらの世界の空の色を見て驚く。
彼らの、その感嘆する異様な姿を見てるだけでも、なにかしら胸に迫ってくるものがある。
とくに先週の第8話で、命がけで転送してきた少年が、何気ない空を見てその美しさに感動するシーンが印象的だった。

夕暮れの空の下で息絶えた彼が最後に思ったのは、在りし日の故郷への郷愁だろうか。
それとも彼にとっては新しい世界の空に映し出される希望だったろうか。

今週の王女の帰宅シーンでも、下校時に降り注ぐ憂鬱なだけのただの雨を「綺麗な雨」だと喜んで濡れて帰る姿が描かれ、このように何気ないことに感動する滑稽な異世界人達を通して、彼らが失ったものと、そして我々がまだ失っていないものの大きさを強調しようとしてるのでしょうね。



まあそもそも、このドラマの中で描かれている日常世界=「D-12世界」は、我々視聴者の住む世界と同一ではない可能性が以前のある描写から考えて、かなり濃厚なわけですが。

だとすれば、「超」の二つくらいつく救いのないバッドエンドも可能だと思ってしまう。
来週からはバッド展開突入らしいのだけど、「D-12世界」が別の世界なのだったら、
その方がテーマが際立つような気もするし。だったら嫌だなあ。

むしろD-12が滅んだほうが、我々蚊帳の外にいる視聴者は身につまされるだろうなあと。

2014.03.08 Comment:0 | TrackBack:0
(twitterから転載)
2014年01月02日(木)

2013年はTVアニメをちゃんと観ようと思って努力してみた。

見れる範囲で観てみたけど、一年振り返ってみると、見てよかったのは『ガッチャマンクラウズ』『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』かな。
後者はそういう義務感でもないと絶対見なかった作品なので印象深い。

あと、『フリージング ヴァイブレーション』はエロ満載アニメながら本当によかった。
原作漫画を描いてる韓国人作家の台頭を感じる作品。

あと『ささみさん@がんばらない』で苦手だった新房監督についに篭絡されたかもしれない。
物語シリーズも少しだけ観たけど、噂通りシャフトはやっぱりすごい。

『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』の破壊力は忘れられない。
全編ロトスコープというとんでもない実験作『惡の華』なんて変り種もあった。
『たまこまーけっと』では『けいおん!』からほうほうの体で逃げ出した自分のリベンジが叶ったといえる。『ハルヒ』以外で初めて京アニ作品を制覇。

『夜桜四重奏 ~ハナノウタ~』は物語が複雑だけど凄腕アニメーターのりょーちも氏の監督作なので作画を見てるだけで目が離せなかった。
『有頂天家族』でも感じたけど構図がカッチリ決まってるカットが目立つ。3Dソフトでレイアウトをしてるっぽい。
前者ではデジタル原画というクレジットもあった。

エロアニメの氾濫とハーレムアニメの進化には驚いた。
『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』『GJ部』は油断すると引き込まれて戻れなくなりそうな重力=ブラックホールを感じた。
ハーレムに耽溺するための言い訳を上手くしてるのが前者で、完全に開き直って他の男性キャラを排除してる豪傑が後者。

昨年内に見終えるつもりが、結局『キルラキル』『革命機ヴァルヴレイヴ』の二期と『ビビッドレッド・オペレーション』『翠星のガルガンティア』が手付かずのまま年を越し不良債権化してしまった。
深夜アニメはどう考えても飽和状態で作品数が多すぎる。マニア向けだけで商売が成り立つのだろうか。

よくアニメ視聴において「切る」という言葉を見かけるが自分はけっこう少なかった。これと決めて観始めれば、つまらなくても(早回しなども使って)結末まで見届けて完走する。耐え切れずに視聴に挫折したのはあれとあれくらいである。あれは女性向けなので視聴者層とズレてたのだけど、あれはなあ…。

あとは去年から引き続き放送中の2クールアニメがいくつかある。
近年のスタンダードは1クール13話程度だけど、2クールでしか描けないものがある。
『凪のあすから』はこれから終幕に向けて本当に楽しみ。
『サムライフラメンコ』は骨は拾うつもりで毎週テレビに向かって手をすり合わせて拝んでいる。

といってるうちにもう2014年冬のアニメがぼちぼち始まるのであった。
いくつか観るつもりでいるけど、とりあえず昨シーズンの『のんのんびより』に食いついたのと同じ嗅覚で『のうりん』には期待してる。
あ、あけましておめでとうございます。今年がよい年、いや、よいアニメの年になりますように。


2014.01.02 Comment:0 | TrackBack:0
(twitterから転載)

2013年07月13日(土)

『恋愛ラボ』の録画とかぶってたのでこの時間に観てたが、なかなかすごいことになってるぞ。/ガッチャマン クラウズ|日本テレビ http://www.ntv.co.jp/GATCHAMAN_Crowds/


8月10日

『ガッチャマンクラウズ』マジで面白くなってきた。世界をアップデートさせようとする累のピュアな想いが痛々しくて最高。このあとどう展開するのか。カッツェに憑りつかれてるからろくなことにならんのだろうなとソワソワする。


『ガッチャマンクラウズ』みててよかったなあ。一週間のうち6日は巨乳ヒロインのはじめちゃんのことを考えてる。


11月22日

番組はとっくに終わったけど、中断してた『ガッチャマンクラウズ』の視聴を再開。ネットの意見を読むと不安しかなかったが、鰻上りに面白くなっていく。あの悪評に関してふと思いつく。まるで作中で描かれたネットワークの悪意の担い手たちが自分たちの描写に不満をもって反発しているようじゃないかと。

カッツェのキャラクターは古典的な悪魔だね、怖すぎて泣きそう。絶望的な状況でお約束を無視して「カッツェさーん」と大ボスに向かって走るはじめちゃんの可愛らしいアバター。そこに確かにヒーローの姿を見てやはり泣きそうになる。これで人工知能のXが偽者の累に反逆したらきっと本当に泣いちゃう。

「JJが神様みたいな人なら、きっとなんにもしてくれないっス!」軽いノリで覚悟の決まった人間しかいえないセリフをあっさり吐く、壁を突破した存在。はじめちゃんのキャラクターは一貫して超越しているだけで、破綻はしていない。だってヒーローだから。


12月28日

『ガッチャマンクラウズ』を観終えた。最終2話は15分の総集編っぽいパートが挿入されるなど混乱が伺えるけど、物語としては一応きちんと着地をした。作り直したほうがいいとは思うけど二期も決定したということで、はじめちゃんの物語は完結なのかな? このあとは描かないほうが綺麗だと思う。

(バレあり)ヒロインのはじめは最初から超越したキャラクターで、最後までそれを全うしたラストだった。恐らく制作体制がとっちらかったせいもあって、わかりにくくなってるけど、デートの約束は果たされ、恐らくはじめは「殺さない」という約束と世界を同時に守るためにカッツェと同化したのだろう。

カッツェの恐怖に怯えるガッチャマンたちのセリフから併せ考えると、カッツェは駄々をこねる子供として描かれていた。となるとはじめは聖母かもしれない。そう思うとあのエロい巨乳もどこか母性の象徴に思えてくる。海にスイカ割りにでかけるはじめは、子供を連れて思い出を作りに行く母親にみえる。

クラウズを手にしてしまった人類の混乱はギャラックスを運営する人間の知恵で解決したけど、悪意を抱く超越した存在のカッツェは消えていない。はじめはそれを養子として育てなおす決意で地球を救ったのだろう。それが「ヒーローってなんなんスかねえ」という自問自答に対する答えだったのかなと。

というわけで総評として、『ガッチャマンクラウズ』はやっぱり傑作だったということでいいと思う。お約束のいつも斜め上を行くはじめの一見ズレた戦いも、電子音の目立つBGMに乗ってかっこよかったのでヒーローものとしても出来がいいはずだ。


正体不明の生命体メスちゃんに「ボクたちまだ出会ってない気がするんス」と言ってたはじめちゃんが、テロを巻き起こすカッツェに執拗に会おうとして、最後に「待ってるっス」とデートに誘うというのはキャラが一貫してるし、着地点が最初に暗示されていて綺麗。


で、「氏ね」と吐き捨ててたカッツェは(オチを見るに)結局待ち合わせ場所に来たんだね。実態のカッツェが呼び出されたのは累のノートを取り返すためのO・Dの「チキン」という挑発に乗ったのとはじめとのデートだけ。カッツェは話を聞いてくれるはじめを気に入ったときから負けてたのかもしれない。

2013.12.28 Comment:0 | TrackBack:0
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